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東京オリンピック開会式が行われた7月23日。ブルーインパルスの編隊飛行を眺めた。
これが肉眼で見る、唯一のオリンピックになるのだろう。あとは全部、テレビと配信で見る。

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●さて、ボクは前回のブログ記事で、CORNELIUS = 小山田圭吾氏が、オリンピック開会式の作曲担当を辞任したキッカケとなった、雑誌「QUICK JAPAN」1995年第3号の記事全文を転載しました。(リンクはこちら)
●こちらのブログ記事では、その雑誌記事の内容について、その問題点を指摘していきたいと思います。

●大まかな要点としては、以下の3点です。

●<1>小山田圭吾氏の問題は二重。少年時代のいじめ行為と、成人してからの行為。
●<2>雑誌「QUICK JAPAN」の姿勢にも問題があった。
●<3>「90年代」という時代の「特殊性」を勘案する必要はない。


●流れとして、三段階の問題設定をしてみました。
●まずは、雑誌記事の中にある小山田圭吾氏の発言の中にある問題を分解したいと思います。
●そして、その上で、この雑誌記事がどのような形でこの世に出たか、という問題を分解したい。
●さらに、こうした記事が流布した90年代という時代背景を、リアルタイムの視点を持つボク個人の印象で考えたいと思います。

●では、お付き合いください。前回記事の雑誌記事全文を参照しながら、読んでいただければ。
 (もう一度、過去記事へのリンクをご案内)


●<1>小山田圭吾氏の問題は二重。少年時代のいじめ行為と、成人してからの誇示の行為。

冗長な雑誌記事だが、その印象のわりには、小山田氏の直接のいじめ行為は限定的だ。
●まず、長い一回目のインタビュー、章立てで言えば【“いじめられっ子”は、二人いた】〜【ファースト・クエスチョン・アワード】の間の小山田氏の発言(赤文字)の中を細かく確認してみると、そこで語られる内容は、彼が和光学園という小中高一貫校に通った12年の歳月全てに及んでいるが、実際にいじめ行為を行った内容は、意外と限定的だ。沢田さん(仮名)に対する小学5年生の「太鼓クラブ」でのいじめ(【“いじめられっ子”は、二人いた】の後半に書かれている、段ボールへの閉じ込め)と、村田さん(仮名)に対する中学生時代のいじめ(【毒ガス攻撃】で説明される掃除ロッカーへの閉じ込め)と、同じく村田さんに対する修学旅行でのいじめ(【奇妙な立場】で説明されるプロレス技)に限定されることがわかる。限定とはいっても、障害を持つ級友に対して十分残酷な行為であることは間違いないが。SNSで登場する「排泄物を食べさせた」という言及は、このテキストには出てこない。

実は、彼自身がいじめ行為に違和感を表明している部分もある。
修学旅行で村田さんを裸にして縛り上げ自慰行為を強要するのは、一部SNSでは彼のいじめということになっているが、実は彼ではなく、留年してきた一年上の「渋カジ」先輩の行為(中学で留年ってよっぽど?)で、むしろ小山田氏自身は「なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか」と印象を語る。沢田さんのジャージを下ろして大勢の前に下半身を晒したのも小山田氏の行為ではない。彼は「ちょっとそういうのはないなー」と言う。しかし、これも一部SNSでは小山田氏の行為とされている。

そもそもで、彼は「いじめの加害者」である一方、「いじめの観察者」でもある。
●少年時代の小山田氏は、障害のある同級生の風評にすごく敏感だし、彼らが巻き込まれるいじめエピソードに興味津々である。
●さらには、いじめと関係なく、沢田さんの普段の生活ぶりをよーく観察し、記憶している。同じように障害のある生徒が集まってどのように休み時間を過ごしているか、わざわざ見に行ったりする。すごい熱量の関心だ。雑誌記事の終盤に及んでは、結局成立しなかった沢田さんとの対談を踏まえて、小山田氏は彼に会ってみたかったと話しているし、素朴な古い友人への思い入れを沢田さんに寄せていたことがわかる(一方で、もう一人の被害者、村田さんには実に淡白だが)。
●在日コリアンの朴さん(仮名)については、「むしろ一緒に遊んでた奴」であって、いじめをするされるという関係はない。朴さんがからかわれるキッカケになったエピソードの紹介だけだ。
●もちろん、「いじめ加害」と「観察」という立場の違いは簡単に彼の責任を軽くするものではなく、直接には手を下さずとも目の前に起こっている事態を「黙認/肯定」した、間接的な「いじめ加害」にもつながるだろう。彼は「観察」はすれど、どんな印象を抱こうと、実際にいじめを止めたという発言は一切していない。

ここの事実確認は、彼の弁護や擁護が目的ではない。テキスト原典に当たることができた人間として、そのテキストに忠実でありたいというだけのこと。なお、他の雑誌での彼の発言は、ボクはカバーできていない。もし他の雑誌などで矛盾した発言があるのならば、小山田氏が自分のイメージを敢えて悪くダーティに見せたいと思っていたと、ボクは感じる。「子悪党が、背伸びして自分を大きく見せている」という印象を感じる。

ただし、ここでの語り口には、26歳の社会人が普通に持ち得るであろう常識感覚が全くない。
●このインタビューは、中学生になされているものではない。26歳になり、ミュージシャンとして社会的成功をおさめて有名人になった人物へのインタビューなのだ。彼のバンド FLIPPER'S GUITAR はレコード大賞新人賞を受賞して、彼は“渋谷系”を代表する「時代の寵児」に。そのバンドを解散してのソロ活動も1stアルバムを発表してキャリアは順風満帆。現在でこそ「小山田って?」という印象でしょうが、当時は結構な有名人だった(今でいう KING GNU くらいの存在感はあるはず)。それなのに、その社会的責任をまるで無視するかのような、幼稚な価値観とそれに基づく情景描写が堂々と語られることが、彼の発言全体に横溢する「ムナクソの悪さ」に繋がっている。なぜ陰惨ないじめの告白が、全部「(笑)」になるのだろう?中学生時代から26歳に至るまで、一ミリの成長/成熟も感じられないし、ましてや過去/少年時代への反省も一ミリもない。これがビックリするところだ。この観点が、いじめの加害当事者になっていようと、観察者に留まっていようと、基本的にいじめられる側、弱い立場への侮蔑的な態度が見事に一貫しているので、印象は最悪だ。いじめとは関係ないが、【「小山田の家に行く」】の後段に登場する、学校の近くにある養護学校のエピソード。ダウン症患者の人たちを揶揄する表現がある。これが大人の発言かと思うような呆れる内容だ。
●この記事の最初の目標である、いじめた側=小山田圭吾氏といじめられた側の対談は成立しなかったが、対談が成立してしまったらもっと陰惨な結果になっただろう。終盤の二回目のインタビュー冒頭で明確だが、小山田氏にはいじめ当事者の自覚はさっぱり存在しないし( 「どうなんだろうなあ?これって、僕って、いじめてる方なのかなあ?」)、当然謝罪の意思など一ミリもないのだ。これでは、いじめられた側から見れば、自覚も反省もないいじめ側が以前のようにマウントをもう一度取りにくる以上の面会にはならないし、これは苦しかった少年時代を蒸し返すセカンドレイプのようになる。
この発言のトーンが、小山田圭吾という人物への世間の厳しい評価につながったと思う。たとえそのいじめ行為が1980年代前半〜今から40年前の出来事であろうと、そしてこの雑誌記事が1995年〜今から26年前であろうと、現在52歳になった彼が果たして改悛/反省しているのか?そのままの価値観でいるのではないか?と思わせるほどのトーン。今回 twitter で表明した謝罪コメントが本当の誠意から発信されているのか、信用できない気持ちにはなる。


●<2>雑誌「QUICK JAPAN」の姿勢にも問題があった。

そもそもで、なんでこんな記事が世に出たのか?取材意図も悪意にまみれていたのでは?
「ロッキング・オン・ジャパン」をはじめ、今回の騒動で注目された音楽雑誌と違って、この雑誌「QUICK JAPAN」は、最初から「いじめ」を狙いとして記事を企画している。なにしろ記事タイトルが「いじめ紀行」だ。この記事の執筆を担当している村上清氏が記事冒頭で掲げる言葉がスゴイ。「“いじめってエンターテインメント!?”」「いじめスプラッターには、イージーなヒューマニズムをぶっ飛ばすポジティブさを感じる。」この人物は、自分がいじめ被害者であったことも仄めかすが、だからと言っていじめをエンタメにできる特権があるとはいえないはずだ。掲載雑誌側に「いじめ」に対するヒネクレた姿勢が最初から存在していたことがハッキリしている。
加えていえば、村上氏には、取材対象=小山田圭吾氏に対する敬意もない。音楽を聴いていない訳ではなさそうだが、記事冒頭には「数年前にアニエスb.を着て日本一裕福そうなポップスを演っていた、あのグループの一員」「ヤバい目つきの人だなあとは思っていた」と、真っ当な態度とは思えない紹介をしている。
これが、取材者である村上清氏のスタンスだ。小山田氏もだが、この取材のポジションもだいぶなものだ。このような取材者の姿勢が、小山田氏のインタビュー全体のトーンを作っていることを認識してもらいたい。
●さらに気になる点。ミニコミ誌を個人で運営する外部ライター、しかも商業誌では初めての仕事、年齢も24歳と未熟であった当時の村上氏のスタンドプレーがこの記事を産んだ訳ではないということ。各所に、経験豊富な編集長の赤田祐一氏、社員編集者の北尾修一氏の名前が登場する。小山田氏へのインタビューには二人も同席していたのが記事から読み取れるが、沢田さん/村田さん二人のいじめ被害が語られた後に、村上氏の言葉として以下のようなフレーズもある。「以上が2人のいじめられっ子の話だ。この話をしてる部屋にいる人は、僕もカメラマンの森さんも赤田さんも北尾さんもみんな笑っている。残酷だけど、やっぱり笑っちゃう。まだまだ興味は尽きない。」幹部が取材過程を確認していることを考えれば、もうこれは完全に、雑誌の姿勢として、彼らはこのアプローチを肯定しているのだ。

そもそもで、「QUICK JAPAN」とはどんな雑誌だったのか?
●このサブカル雑誌は、現在も刊行されており、ヴィレッジヴァンガードのようなお店で手軽に買うことができる。00年代中盤からは、テレビで人気のバラエティ番組やそこで活躍する芸人さん、アイドルグループなどなどをメインに特集するようになり、実にメジャー化した印象があるが、その以前は文字通りサブカル路線が強力で、限られた人しか手に取らないタイプの内容だった。
●ボクがこの雑誌を好んで読んでいたのは、90年代から00年代初頭までのマニアックな音楽情報が多く掲載されていたから。今となってはシーンの重鎮となっている、電気グルーヴ、BOREDOMS、FISHMANS、曽我部恵一、中原昌也(暴力温泉芸者)、ZEEBRA、THA BLUE HERB、菊地成孔、クレイジーケンバンドなどなどが世間の認知に先んじて特集され、テクノやヒップホップ、ノイズなどのサブカルチャーがたっぷり紹介されていた。今や完全にメディアから姿を消した伝説的マンガ家・岡崎京子さんがテイ・トウワと普通に対談などしていて、読み返すと貴重な記事もあったりする。その他、カルトアニメとして注目されてた「エヴァンゲリオン」を早くから取り上げたり、井上三太のような新世代のマンガ家を発掘したりと、かなりな早モノ喰いのセンスが秀逸であった。結果的に、この時期のこの雑誌を50冊程度、ボクは綺麗に保存しているのだ。
ただし、最初期の「QUICK JAPAN」には、独特の悪趣味があったことは間違いない…。この小山田圭吾氏の記事が掲載されたのは創刊第3号。創刊準備号(第0号)から数えて四回目の刊行と、雑誌そのものが出来立てのホヤホヤであったのだ。このホヤホヤの雑誌が創刊時に打ち出した独特なポリシーが、こうしたトーンに影響しているとボクは感じる。その創刊準備号(1993年夏刊行)には、「創刊の辞」のような位置付けで、「QJニュー・エイジ・ジャーナリズム宣言」という文章を掲載している。その文章は、1967年「ローリングストーン」誌創刊をキッカケにロック世代のジャーナリズム(トム・ウルフ、ハンター・S・トンプソン、レスター・バンクス、そしてトルーマン・カポーティなども参照して)が発生したことを範に掲げて、90年代日本にこの精神を展開すると表明しているのだ。以下に、この文章の最後の部分を短く引用する。

 「クイック・ジャパン」は、既製の雑誌の網に引っかからないような出来事のみを取りあげていきます。それは、個人的な言葉を使った、とても個人的な見方をする先見的ジャーナリズムです。独断や偏見だと思われる方がいるかもしれませんが、独断でない雑誌や偏見でない中立な雑誌がはたして面白いでしょうか?「クイック・ジャパン」は、皆さんがよく目にしている通常の雑誌とは、ちょっと違うかもしれません。しかし、よく目を澄まして読んでもらえれば、きっと今までにない価値観を、この雑誌の中に発見していただけると思います。」

●ソーシャルメディアはおろか、インターネット以前の時代に、既存のマスメディアが取り扱わない話題をピックアップするという志はよいとして、既存の手法を裏切るゲリラ的なアプローチを重んじるばかりに、結果的には、悪趣味な記事や特集を選ぶ側面があったり、経験のない若者を書き手として抜擢して彼らの奇妙な偏りを面白がろうとする姿勢が強く出ていた。ブルーハーツのファンクラブ会長からオウムに入信した女性のインタビューがあったり、13回自殺未遂の経験がある女性へのインタビューがあったり、1995年に覚醒剤取締法違反で逮捕される石丸元章氏が「人面犬は自分が仕掛けたウソ物語」だと語っていたり、「完全自殺マニュアル」の著者・鶴見済氏と小沢健二氏の自殺についての対談があったり。中森明夫氏は「トンガリキッズ・ニュース」というコーナーを担当して積極的に10代の書き手を雑誌に巻き込むアジテーションを行なっている。
「いじめ紀行/小山田圭吾」はその中でも、一番悪趣味な記事であった。「独断や偏見」を通り越して未熟な露悪主義が先走っているだけだったように思える。ちなみに、この「いじめ紀行」は連載企画を想定してスタートしたものだったが、長持ちしなかった。第二回はこの時期の主要執筆陣の一人で、マンガ原作も手がけていた竹熊健太郎氏の「いじめられ経験」告白、第三回はなぜかデトロイトテクノの重鎮クリエイター、ジェフ・ミルズにいじめに関してインタビューをするもサッパリ噛み合わない内容、第四回には中国のいじめ事件を簡単に取り上げるだけの内容になってその後消滅する。
●この記事を担当したライターの村上清氏はその後「QUICK JAPAN」の編集者を務め、1998年の第19号〜第22号では二代目の編集長となる。しかし第23号からはクレジットからその名前が消える…三代目編集長は今回の小山田氏インタビューに同行した北尾修一氏が就任。その後は、悪趣味なトーンは徐々に薄れて、ミュージシャンや音楽を主役にした特集がメインになっていく…。

●とはいえ、この記事が一方的な雑誌サイドの暴走というわけではなく、小山田氏自身が内容をきちんと把握していたのはおそらく間違いない。問題の「いじめ紀行」が掲載された第3号の後、間を開けず第5号で小山田氏は奇妙なレコードショップへの突撃取材に同行しているのだ。彼は「QUICK JAPAN」のスタイルを気に入って楽しんでいたわけだ。FLIPPER'S GUITAR 時代には「オリーブ」のようなファッション誌に好んで出ていたのに。


●<3>「90年代」という時代の「特殊性」を勘案する必要はない。

1990年代の言説を、2021年水準で評価するのは酷、という意見は、少なくともこのケースでは肯定できない。
●いじめの問題に関しては、2020年代だろうが1990年代だろうが、関係なく深刻な社会問題になっていて、そのトーンに変化はないはずだ。実は当時の段階で、雑誌「QUICK JAPAN」の中の「投稿欄」に読者からの批判的な意見がキチンと掲載されているのだ。簡単にそういった記述を紹介する。(第5号「LETTERS」のコーナーから抜粋引用)

 「いじめ紀行」はおもしろいと思ってしまうんだけど、これをおもしろい記事にしてしまうのはよくない気がします。(別の記事で)QJはもっと違ったおもしろさを表現できるはず。やっぱりいじめはいけないよ。(東京・19歳)

 小山田さんって本当に卑怯な人なんですね。相変わらず臨機応変、世渡り上手だと思った。文章が全体的に稚拙。読みごたえが感じられない。「他人と違った事をやりたい」というのがありあり(ミエミエ)と感じられ、読者を納得させ得るだけの力もまだ足りない。(大阪・20歳)

 そしてやっぱり「いじめ紀行」ですね。〜私のこの記事の感想ははっきり言って、もう死ぬほど読んで、なめて、食べて、うんこにまでした気分なので、初心を忘れてしまいました。ただただ恐ろしく感じたような、ショッキングだったような、そして小山田圭吾をうちの番犬にして車でひいてみたいような……。(長野・年齢非掲載)

●もちろん、小山田氏の記事をおもしろがる意見もある。「今までこういうちょっと変わった雑誌を買う機会がなかったので、私にとっては新鮮でおもしろかったです(埼玉・14歳)」とか。

90年代には「鬼畜系」と呼ばれるようなムーブメントもあったのだが…。
●雑誌「QUICK JAPAN」が登場した同時代には、同じ判型の雑誌「危ない1号」も話題になっていた…キャッチフレーズは「日本全国のゲス野郎に捧ぐ」、もっと直接的にドラッグや犯罪行為を取り上げて紹介する内容で、強姦常習者へのインタビューから盗聴の方法解説と本当に悪趣味な記事ばかりが並んでいた。この雑誌はたった4号しか持続しなかったのは当然といえば当然なのだが、「危ない1号」編集長の青山正明氏は「QUICK JAPAN」にも登場したりもしていて、影響関係はなくはなかったと考えられる。(ちなみに、青山氏は2001年に自死している…)
東西冷戦終結、ソ連崩壊、湾岸戦争、バブル崩壊、オウム真理教事件、阪神大震災と、大きな社会的事件が重ねて起こり、既存価値観がガラガラと崩れていく局面の中で、こうした倫理の底抜け状態が珍重された瞬間があったとしか言いようがない。折りしも1995年はウィンドゥズ95が発売された年でもあって、その後到来するインターネット/ソーシャルメディアの価値観にはまだ早い時期でもあった。2ちゃんねるすら存在していないのだから。
●とはいえ、時代が抱える困難さは、90年代固有の状況ではなくて、どの時代にも同じように様々な困難があるのだから、この時期を特別視する根拠にはなりえない。小山田氏が当時のマイナー雑誌にあった「鬼畜系」の悪趣味さに自分を乗っけてしまったとしても、それは彼の責任であって、時代の責任ではないはずなのだ。
 
 




●ということで、ボクは小山田圭吾氏の過去の行為の問題を、雑誌「QUICK JAPAN」の記事に寄り添う形で指摘しました。

ここからは、ボク自身の自己批判です。

●この文章を書きながら、ボク自身は、胃の中が重たくなるような、複雑な気持ちを拭い去ることができません…。

●結局のところ、ボクは1995年(当時21歳でした)の段階で、この「QUICK JAPAN」のこの記事を楽しんで読んでいたわけです。この記事の存在を知りながら、彼の音楽を聴き続けていたのです。だから、彼への批判は、当時の彼を肯定していたボク自身への批判でもあるのです。彼の誤った過去を無視できないように、ボクは自分の過去を無視できない。


FLIPPERS GUITAR「ON PLEASURE BENT」

FLIPPER'S GUITAR「ON PLEASURE BENT」1990〜1991年
小山田圭吾小沢健二のデュオ、FLIPPER'S GUITAR解散した後にリリースされたライブテイク集。商業的ブレイクを果たすセカンドアルバム「CAMERA TALK」1990年から、欧米のシーンの最新潮流をリアルタイムで汲み取った傑作サード「DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER ヘッド博士の世界塔」1991年、そして突然の解散までの時期に収録された音源で構成されている。全曲英語詞で統一されたデビューアルバム「THREE CHEERS FOR OUR SIDE 〜海へ行くつもりじゃなかった」1989年の収録楽曲も登場。ボクは、このCDを最近は何回も聴いている。複雑な気持ちで。

FLIPPER'S GUITAR の登場は鮮烈であった。彼らの音楽を初めて聴いたのはボクが18歳の時だったが、それまで持っていたロック観を根底から覆すようなインパクトを感じた。既存のハードロックやパンクが泥臭さや汗臭さで世間に異議申し立てをしていた中、彼らは真逆のアプローチを取りながら、むしろ中途半端なロックよりも徹底したスタンスで世間を挑発した。年齢にして4歳程度しか離れていないのに、こんなことをやってのける人間がいるのか!とビックリしたし、ボクらの世代の新しいロールモデルだと思った。
●既存のハードロックやパンクの手法を巧妙に排除して、英米のインディ・ギターポップの様式を参照した音楽は、絶妙に小洒落ていて、ポップスすら突き抜けてクールに聴こえた。オシャレすぎてスノッブすぎると思ったほどだ。あげく、過去の名曲をマルマルとパクるオキテ破りの大胆さにも舌を巻いた。普通に間奏のフレーズに SLY & THE FAMILY STONE をマルマル剽窃してたりするし、普通にサビのリフレインに MY BLOODY VALENTINE の一節を拝借する。THE BEACH BOYS も餌食になる。古いレコードも最新のトレンドも即座に組み込んでしまう絶妙なセンス。「サンプリング」という言葉が市民権を得た時代でもあったので、むしろ先鋭的な手法を採用したカッコイイ音楽に聴こえた。聞けばファーストの全曲英語詞も英米文学を引用してパッチワークしているという。
●その一方で、見た目はカワイイくせに、口を開けばなんと冷笑的なことか。彼らの歌詞は、どこかシニカルで厭世的で諦観したトーンがあって、世の中全般に対して冷めたポジションにあった(この時期のリリックは全て小沢健二によるものだが)。インタビューでは人をケムに巻くようなことばかりしゃべるし、レコード大賞の授賞式でも不遜な態度を隠さず、司会の和田アキ子が呆れるほど。若くして世界に深く絶望し、そんな世界全般に舌を出して見せる。そんなポーズがカッコイイと思ってしまった時期が、ボクにはあるのだ。

●実際のところ、彼らのそんなポーズは、当時においても「イケすかない」の一歩手前というか、むしろ一歩踏み込んだレベルのものだった。「僕らのセンスについて来れないのなら、それで構わないよ、わかるヤツだけがわかればイイ」という姿勢がハッキリしてるのだから。彼らのような人物にリードされた「渋谷系」カルチャーは、この意味では「イケすかない」要素でいっぱいだった。「渋谷系」の巨頭 PIZZICATO FIVE小西康陽さんも博覧強記のポップカルチャーマニアだったし(実際、かなり年長でもあったので当然か)、誰もがサブカルの知識量でマウンティングしあうような空気があって、渋谷のレコ屋はスノッブ対決で殺伐としてたほどだった。

FLIPPER'S GUITAR が解散して、相棒の小沢健二はスタンスを大きくシフトチェンジをした。
●くだらない世界を冷笑するだけのポジションを変えて、くだらないとわかりつつも敢えてこの世界に踏み込むアプローチを選んだ。彼のソロ活動は虚飾を省いたギターロックとシリアスな歌詞から始まり、敢えてアイドル然とした立ち振る舞いで甘いラブソングを歌い、筒美京平さんに楽曲提供をお願いしたり、まさしく王道のジェイポップを貫こうとした。もはや、彼にとって FLIPPER'S GUITAR は若気の至りの過ちになってしまったのか、「取材記事に昔のバンドの名前を一切使うな!」と周辺に強いプレッシャーをかけるほどで、「QUICK JAPAN」「小沢健二の言葉狩り」と批判されたりもしている。

●ところが、小山田圭吾は、ソロ活動= CORNELIUS になってからもスタンスを変えなかった…。
CORNELIUS のファーストアルバム「THE FIRST QUESTION AWARD」1994年は、相変わらず JAMIROQUAI THE STYLE COUNCIL など元ネタがハッキリわかるような音楽になっていて、FLIPPER'S GUITAR 直系のスタイルになっている。一方でリリックライターの小沢健二と訣別した結果、奥深い歌詞は出て来なくなり、冴え渡るようなシニカルさは後退してしまった(その後の彼の音楽ではどんどん歌詞の意味が薄れていく)。
●ただし「わかるヤツだけわかればイイ」のセンスゴリ押しの路線はむしろ拡大、自身が主宰するレーベル TRATTORIA を設立、俺センスに基づいて、国内外を問わず次々と新しい才能や音楽を紹介するようになる。結果的には、外の広い世界に旅立った小沢健二(彼は1998年には拠点をアメリカに移してしまう)に対し、小山田圭吾「わかるヤツ」だけを集めた仲良しサークルの中に籠ったままになるのだ。ただし、このアーティスト自身がレーベル運営を担うというスタンスは、当時は実に新しい感覚だったので、ボクは彼のこうした活動に夢中になってしまったのだ。(ちなみに「ON PLEASURE BENT」 TRATTORIA からリリースされた二番目の音源。最終的に250枚の音源をこのレーベルは世に出した)
●オシャレな「渋谷系」と悪趣味を面白がる「鬼畜系」は全くの無縁のように見えて、「厭世的な冷笑家」という意味では表裏一体で同じ性質を持つ。人生を真面目に生きるつもりはないのだから。彼が「鬼畜系」のような世界に面白半分で接触してみようと思うのは、遅かれ早かれ時間の問題だったのかも。まあ、いじめの所業でいえば「鬼畜系」の仲間といわれても仕方がない。彼なりの悪趣味がこの時期には特別に高じていたのか、CORNELIUS のセカンドアルバム「69/96」1995年は、彼から無縁のはずのヘヴィメタルにインスパイアされた内容になった。
ただし、ここの部分ではボクは自己批判をしなければならない。結局、ボクも雑誌「QUICK JAPAN」を創刊準備号から購読していたわけだし、「鬼畜系」のど真ん中「危ない1号」もしっかり購読、そして今まで保存していたのだから。あの当時、ボクと小山田圭吾は近い場所にいたんでしょうね。大学生になっていたボクは、あの時代のアベコベさに苛立っていた。バブルの残滓のような拝金主義は十分に世間にコビリついていてお金がなければナニもできない。胡散臭いイベンターに騙されて100万円の請求書を送りつけられた。オウム真理教のようなふざけた連中がテロを起こし、就職活動は一気に氷河期へ突入。阪神大震災まで発生。60年代70年代の学生たちはド派手なデモでも仕掛けたのだろうけど、そんな気配は何もない。冷ややかに笑うしかない。そんな記憶が、今のボクを苛んでいる。

1997年のアルバム「FANTASMA」で世界進出。
小山田圭吾がいじめ告白をしていようと、この後の彼は破竹の勢いで活動領域を広げていた。アメリカの名門インディレーベル MATADOR RECORDS から、ポストロックの影響を濃厚に受けたサードアルバム「FANTASMA」がリリースされ、国際的知名度を一気に高めたのだ。ミニマルな美学を突き詰めた、次作にあたるアルバム「POINT」2001年も世界21カ国で発売。こうなると「勝てば官軍」だ。2008年にはグラミー賞にもノミネートされて、一流ミュージシャンの仲間入り。外国アーティストからリミックスのオファーがあったり、海外ツアーを組んだり、各国の巨大フェスに出演したりと、八面六臂の活躍。そして結局のところ、ボクはいじめ記事の存在をシッカリと認知しながら、彼の活躍を肯定的に捉えてしまっていた。日本文化を世界に轟かす存在として、肯定してしまったのだ。
●ただ、元からマスメディアに出るタイプでもないので、いつしか肉声を聞くこともなくなって、そこで彼に対するボクの関心は薄まってしまった。大人になっていじめの過去を改悛したのか、さっぱりわからない。2011年頃は YELLOW MAGIC ORCHESTRA のサポートメンバーになってた頃はなんとなく把握してたが、裏方の存在なのでよくわからない。高橋幸宏さんが結成した最近のバンド META FIVE に彼が参加しているそうだが、結局こちらも全然聴いていない。

「ON PLEASURE BENT」で聴こえる若き小山田圭吾の肉声。
彼は、優れたシンガーではない。ライブ音源集である「ON PLEASURE BENT」で聴く彼の声は、スタジオアルバムと違って、なんだか不安定でとても頼りない(一方で、相棒の小沢健二のギターが意外と冴えてて驚く)。それでも、このライブ音源で彼は体を張って戦っている。ライブが得意でもないし実は好きでもない小山田圭吾が、敢えて肉弾戦をしている様子が、ここには克明に記録されている。彼の音楽の真骨頂は、ボーカルでもメロディでもリリックでもなく、スタジオ技術で細かく音楽を編集するセンスだ。自分だけの安全地帯で音楽を練り込むのが得意なのだ。でも、こうしてライブで客前で、貧弱とわかって声を張るという行為を続けていたら、自分の物理的限界、転べば痛いと感じる生身の感覚、自分の声を聴いてくれる観衆との共感、そうした様々な人間関係を通じて、彼は自分のシニカルさを克服できたのかもしれない。自分が苦しめた級友たちの痛みを理解できるようになったのかもしれない。そして、誰にも話していないのだけど、様々なキャリアを通じて52歳の大人になった今では、すでに自分の過去を悔いる良識を十分に獲得しているのかもしれない(いや、あのtwitterの対応ではこんな楽観的な見込みはまだ持てないけど)。

今回の記事で、小山田圭吾氏に投げつけた厳しい言葉。全部ボク自身に投げつけているような感覚で書きました。FLIPPER'S GUITAR小山田圭吾のファンであったことに、どう落とし前をつけたらイイのか、まだ全然わかっていない。彼の音楽はもう骨の髄まで染み込んでしまって、パッと拭いされるものではなくなってしまっている。今はこの苦い感覚を噛み締めて、彼が傷モノにしてしまったオリンピックの開会式の様子を目に焼き付けておく他、やれることが思いつかない。


●こんな意味のわからないお話にお付き合いいただき、本当に恐縮です。

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やっと、東京オリンピックが開幕した。
開会式が、なんとか終了した。
●うーん、なんて難儀な大会だろう!
●ただでさえ、コロナ禍の勢いが増す中での逆風が強いのに、開会式の演出メンバーの過去問題が大会直前に炎上するとは。

●このセレモニーの音楽を担当する小山田圭吾氏が、過去のいじめ行為とその露悪的な告白で辞任。その後、開会式の前日にショーディレクターを担当していた小林賢太郎氏が、過去のコント作品でホロコーストを不適切な形で取り上げた件で解任。本当に、こんな状態でマトモなセレモニーが行えるのか、ハラハラしてしまった…。
●このセレモニーのために精一杯頑張ってきた他のクリエイターやパフォーマー(予想通り少年少女も混じっていた)の人たちが、彼らのせいで恥をかくようなことはあってはならないし、直前に退場した人間がいなくとも十分に見事なショーを見せられることを証明してほしいと思った。


今日のこのブログ記事は、小山田氏の問題が浮上してから、何回も書き直しをしている…正直、今でもうまく書けるような気がしない。
小山田圭吾氏の人物と、音楽について、90年代という時代について、アレコレを考えながら、それがまとまらない…。

●なお、元ラーメンズの小林賢太郎氏については、ボクは彼のキャリアについて何の知識もないので、今回は話題にあげません。知識もなく小林氏のケースと小山田氏のケースを比較したりするのは、問題をややこしくしてしまう。



●小山田圭吾氏について今回問題になっているのは、以下の雑誌インタビューで、彼自身が語っている自分のいじめ行為。
・「ロッキンオンジャパン」1994年1月号に掲載された「小山田圭吾、生い立ちを語る20000字インタビュー」(全44ページ)
・「QUICK JAPAN」1995年7月、第3号に掲載された「村上清のいじめ紀行〜第一回ゲスト小山田圭吾の巻」(全22ページ)

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●で、その二番目の記事が収録されている雑誌「QUICK JAPAN」第3号を、ボクは持っている。
●90年代の古い雑誌を、こんなキッカケで読み返すとは、思っても見なかった…。
●実際、このニュースに触れて、「ああ!あの記事のことか!」と即座にこの「QUICK JAPAN」のことを思い出した。
●正直、今まですっかり忘れていたことではあったが、センセーショナルな内容ではあったので、パッと記憶が蘇ったのだ。


最初に言及しておきますが、今日の記事は、小山田氏の行為を擁護するものではありません。
少年時代のいじめ行為そのものだけでなく、それを露悪的にインタビューで吹聴する行為も、肯定できるものではありません。

●ただし、この古くてマイナーな雑誌にアクセスできるのはごく限られた人間だと思うので、この記事についてもう少し細かいニュアンスを伝えられたらと思う次第です。

●SNS界隈に流布しているイメージと言説は、記事の内容を単純化した断片を前提にしているようで、乱暴に思えたのも事実。だから、この問題へのアプローチの第一段階として、今回問題になっているテキストを誰もがキチンと参照できるようにしたいと思います。


「ロッキンオンジャパン」1994年1月号「小山田圭吾、生い立ちを語る20000字インタビュー」については、これはボクは未読です。ネットを検索すると問題の表現を見つけることができますが、全44ページの内容の中で、いじめに対する言及は1ページのことだったそうで。

●ただし、この記事の一部の表現が、「QUICK JAPAN」の記事の企画意図にそのまま直結しています。「村上清のいじめ紀行〜第一回ゲスト小山田圭吾の巻」というタイトルにあるように、この雑誌の編集者である村上清という人物が文章の主体になっているのですが、特集記事の冒頭2ページを使って、村上氏が企画の主旨を説明しているのです。

●続いて、雑誌「QUICK JAPAN」編集部と連携しながら、小山田圭吾氏との取材が行われるまでに至るプロセスも説明される。文中に登場する「赤田さん」=赤田祐一氏は、「QUICK JAPAN」初代編集長。当時は34歳か。「北尾さん」=北尾修一氏もその後に編集長を務める人物だが、当時は新入社員だったようだ…記事発表時は26歳か。村上清氏は、版元である太田出版の社員ではなく、記事冒頭にあるように一人でミニコミ誌を作っていた青年で、どうやら24歳。商業誌に文章を書くのは初めてらしい。

●以後に続く、小山田圭吾氏本人のインタビューについては、彼の発言を赤字にしてみた。一方で、村上氏他小山田氏以外の人物は青字に。当時の小山田氏は26歳。

●では、どうぞ、テキスト原典をそのままに、チェックしてくださいませ。

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『村上清のいじめ紀行 「新しい方法で“いじめ”を考えてみる」シリーズ』 

第一回ゲスト 小山田圭吾(コーネリアス)の巻

僕たちにとって“いじめ”とは一体何なのか?
小山田君が“いじめっ子”だったって、ホント?


 僕は「月刊ブラシ」というミニコミを編集している。

 インタビュー中心の雑誌で、二二の時に創刊して、もう二年が過ぎた。今までにインタビューしたのは、爆弾製造青年、五年間顔を合わせたことのない隣人、日本語学校の生徒、駆け出しの探偵、等々。特に決まったジャンルとかは無いので、今は閃いたことを全部やるようにしている。

 インタビューをしていると、相手が「マンガみたいな現実を語ってくれる時がある。例えば、爆弾製造青年が高校の時に友達から「不良にからまれるから爆弾作ってくれ」って言われたとか、「探偵が学校に潜入する時は用務員のフリをする」とか、そんな話にはメチャクチャシビレる。

 関係ないけど「スティービー・ワンダーは必ず綺麗な女を選ぶ」とか「ビーチ・ボーイズはメンバー全員がカナヅチだ」とか、「火葬場はやはり火事がおこりやすく、職員が焼け死ぬことがよくある」とか、そんなエピソードも大好きだ。

 そんな僕にとって、”いじめ”って、昔から凄く気になる世界だった。例えば

 *ある学級では”いじめる会”なるものが発足していた。この会は新聞を発行していた。あいつ(クラス一いじめられている男の子)とあいつ(クラス一いじめられている女の子)はデキている、といった記事を教室中に配布していた
 とか、
 *髪を洗わなくていじめられていた少年がいた。確かに彼の髪は油っぽかった。誰かが彼の髪にライターで点火した。一瞬だが鮮やかに燃えた。

 といった話を聞くと、
 “いじめってエンターテインメント!?”とか思ってドキドキする。
 だって細部までアイデア豊富で、何だかスプラッター映画みたいだ(あの「葬式ごっこ」もその一例だ)。(ブログ主による注:1985年・東京中野区で起きたいじめ事件)

 僕自身は学生時代は傍観者で、人がいじめられるのを笑って見ていた。短期間だがいじめられたことがあるから、いじめられっ子に感情移入する事は出来る。でも、いじめスプラッターには、イージーなヒューマニズムをぶっ飛ばすポジティブさを感じる。小学校の時にコンパスの尖った方で背中を刺されたのも、今となってはいいエンターテインメントだ。「ディティール賞」って感じだ。どうせいじめはなくならないんだし。
 去年の一二月頃、新聞やテレビでは、いじめ連鎖自殺が何度も報道されていた。「コメンテーター」とか「キャスター」とか呼ばれる人達が「頑張って下さい」とか「死ぬのだけはやめろ」とか、無責任な言葉を垂れ流していた。嘘臭くて吐き気がした。
 それにいじめた側の人がその後どんな大人になったか、いじめられた側の人がその後どうやっていじめを切り抜けて生き残ったのか、これもほとんど報道されていない。
 誰かこの観点でいじめを取り上げてくれないかなと思っていたら、昔読んだ「ロッキング・オン・ジャパン」の小山田圭吾インタビューを思い出した。


 【 小山田圭吾=いじめっ子? 】

 小山田圭吾といえば、数年前にアニエスb.を着て日本一裕福そうなポップスを演っていた、あのグループの一員だ。ソロになった今でも彼の音楽は裕福そうだが、そんな彼は私立少・中学時代いじめる側だったらしい。ヤバい目つきの人だなあとは思っていたが。「全裸にしてグルグル巻きにしてオナニーさせて、バックドロップしたり」とか発言してる。それも結構笑いながら。
 僕も私立中学・高校とエスカレーターで通っていたので、他人事とは思えなかった。僕の当時の友人にはやはりいじめ加害者や傍観者が多いが、盆や正月に会うと、いじめ談義は格好の酒の肴だ。盛り上がる。私立って、独特の歪み方をする。
 小山田さんは「今考えるとほんとヒドかった。この場を借りて謝ります(笑)」とも言っている。
 だったら、ホントに再会したらどうなるだろう。いじめっ子は本当に謝るのか?いじめられっ子はやっぱり呪いの言葉を投げつけるのか?ドキドキしてきた。
 対談してもらおう!


 最終的にはいじめられてた人の家の中まで入った。しかし結局この対談は実現せず、小山田さんへの個人インタビューとなった。
 以下、この対談の準備から失敗までを報告する。

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 ●2月22日

 *14時、太田出版で「QJ」赤田・北尾両氏と会う。いじめ対談のことを話す。「面白いね、やってよ。和光中学の名簿探してみるから」―まず、いじめられっ子を探すことにする。
 *20時、ボアダムズのライヴを観に新宿リキッドルームへ。終演後、何と観客の中に小山田圭吾氏発見!運命的なものを感じる。何か挨拶しとかなきゃ。しかし、カヒミ・カリィと一緒の小山田さんにいきなり「昔、いじめっ子だったんですよね」という訳にもいくまい。とりあえず「月刊ブラシ」を手渡す。「ミニコミ作ってるんで読んでください」「あ、ありがとう」この間、約二秒。ちなみに僕は普段いつも自分のミニコミを持ち歩いている訳ではなく、この日持ってたのは本当に偶然だった。ますます運命的なものを感じる。

 ●2月25日

 当時の和光中学の名簿を思いっきり入手。太田出版のバイトにたまたま和光出身の人が入ったらしく、そのルートから。運命的なものを感じる。いじめられてた人の名前まで判明した。西河原法夫さん(仮名)といい、「学年を超えて有名」だったとか。対談依頼の手紙を書く。

 ●3月15日

 原宿の西河原さんの自宅へ交渉に。住所を頼りに昔いじめられてた人の家に行く、しかも自分は全然初対面。この時の気分はうまく説明できない。現実を舞台にファミコンやってるような気になってくる。よくよく西河原さんと話してみると、「自分は消しゴムを隠される程度のいじめしか受けていない。(前出のように)ハードにいじめられてたのは別の人ではないか」とのこと。
 じゃあ、本当にいじめられてたのは誰なんだ?

 ●3月23日

 太田出版ルートでは、「もはや誰が小山田さんにいじめられていたのかは判らない」とのこと。間抜けな話だが、小山田さん本人に聞くしかなくなった。所属事務所「3-D」に電話。事前に手紙は送っているが、反応はよくない。当たり前か。

 ●4月2日

 とにかく事務所に乗り込む。「QJ」赤田氏と僕とで、まずマネージャー岡氏を説得しなければならない。と思っていたら、「本人来ますよ」
 20分後、「夕刊フジ」の地下鉄サリン事件増刊号を小脇にかかえながら、コーネリアスはいきなり目の前に現れた。

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 「この対談、読み物としては絶対面白い物になるだろうし、僕も読むけど、自分がやるとなると……(苦笑)」

 「月刊ブラシ」のことは覚えていてくれたものの、やはり引き気味のコーネリアス。しかし話をしていくうち、お互いいじめ談義で盛り上がってしまう。小山田さんは、いじめグループの中でも“アイデア担当”だったらしい。僕の確信は間違ってなかった。小山田さんもこういうのが好きなのだ。大体、昔テレビの「私のお気に入り紹介」みたいなやつで、他の人は好きなパンとか好きな文房具とかを紹介してるのに、一人だけアメリカ凶悪殺人犯のトレーディング・カードを紹介していたぞ。小山田さんとのいじめ談義は、同じ学校の奴とバカ話しているようで、凄く楽しい時間だった。独り占めするのはもったいないので、僕がシビレた話を掲載しよう。


 【 “いじめられっ子”は、二人いた 】

 小山田さんによれば、当時いじめられてた人は二人いた。最初に登場するのが沢田君(仮名)だ。

 「沢田っていう奴がいて。こいつはかなりエポックメーキングな男で、転校してきたんですよ、小学校二年生くらいの時に。それはもう学校中に衝撃が走って(笑)。だって、転校してきて自己紹介するじゃないですか、もういきなり(言語障害っぽい口調で)「サワダです」とか言ってさ、「うわ、すごい!」ってなるじゃないですか。で、転校してきた初日にウンコしたんだ。なんか学校でウンコするとかいうのは小学生にとっては重罪だっていうのはあるじゃないですか?で、いきなり初日にウンコするんだけどさ、便所に行く途中にズボンが落ちてるんですよ、なんか一個(笑)。そんでそれを辿って行くと、その先にパンツが落ちてるんですよ。で、最終的に辿って行くと、トイレのドアが開けっ放しで、下半身素っ裸の沢田がウンコしてたんだ(笑)」

 「だから、何かほら、「ロボコン」でいう「ロボパー」が転校してきたようなもんですよ。(笑)。で、みんなとかやっぱ、そういうのに慣れていないから、かなりびっくりするじゃないですか。で、名前はもう一瞬にして知れ渡って、凄い奴が来たって(笑)、ある意味、スターですよ。別に最初はいじめじゃないんだけども、とりあえず興味あるから、まあ色々トライして、話してみたりするんだけれども、やっぱ会話とか通じなかったりとかするんですよ。おまけにこいつは、体がでかいんですよ。それで癇癪持ちっていうか、凶暴性があって…牛乳瓶とか持ち出してさ、追っかけて来たりとかするんですよ。で、みんな「怖いな」って。ノロいから逃げるのは楽勝なんだけど、怒らせるとかなりのパワーを持ってるし、しかもほら、ちょっとおかしいから容赦ないから、牛乳瓶とかで殴られたりするとめちゃめちゃ痛いじゃないですか。で、普通の奴とか牛乳瓶でまさか殴れないけど、こいつとか平気でやるのね。それでまた、それやられると、みんなボコボコにやられるんだけど」

 「僕とこいつはクラスは違ったんですけど、小学校五年ぐらいの時に、クラブが一緒になったんですよ。土曜日に二時間ぐらい。選択でいろんなクラブ選べるとかいうので、僕、“太鼓クラブ”とかに入って(笑)、かなり人気のないクラブだったんですよ。ウチの学校って、音楽の時間に民族舞踊みたいなやつとか、「サンサ踊り」とか、何かそういう凄い難しい踊りを取り入れてて。僕、踊り踊るのヤだったの、すごく。それで踊らなくていいようにするには、太鼓叩くしかなかったの。クラスで三人とか四人ぐらいしか太鼓叩く奴はいなくて、後は全員、踊らなきゃいけないってやつで。僕は「踊るのはキツイなー」って思って、「じゃ、太鼓の方がいいや」って。結構、太鼓が好きだったんですよ、僕。それで太鼓クラブに入ったんですけど、するとなぜか沢田が太鼓クラブにいたんですよ(笑)。本格的な付き合いはそれからなんですけど、太鼓クラブって、もう人数が五人ぐらいしかいないんですよ、学年で。野球部とかサッカー部とかがやっぱ人気で、そういうのは先生がついて指導とかするんだけど、太鼓クラブって五人しかいないから、先生とか手が回らないからさ、「五人で勝手にやってくれ」っていう感じになっちゃって。それで音楽室の横にある狭い教室に追いやられて、そこで二時間、五人で過ごさなきゃならなかった。五人でいても、太鼓なんて叩きゃしなくって、ただずっと遊んでるだけなんだけど、そういう時に五人の中に一人沢田っていうのがいると、やっぱりかなり実験の対象になっちゃうんですよね」

 「段ボール箱とかがあって、そん中に沢田を入れて、全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、「おい、沢田、大丈夫か?」とか言うと、「ダイジョブ…」とか言ってんの(笑)。そこに黒板消しとかで、「毒ガス攻撃だ!」ってパタパタってやって、しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして、「ヤバいね」「どうしようか」とか言って、「じゃ、ここでガムテープだけ外して、部屋の側から見ていよう」って外して見てたら、いきなりバリバリ出てきて、何て言ったのかな…?何かすごく面白いこと言ったんですよ。……超ワケ分かんない、「おかあさ~ん」とかなんか、そんなこと言ったんですよ(笑)。それでみんな大爆笑とかしたりして」

 「本人は楽しんではいないと思うんだけど、でも、そんなに嫌がってなかったんだけど。ゴロゴロ転がしたりしたら、「ヤメロヨー」とか言ってたけど」


 【 沢田からの年賀状 】

 「肉体的にいじめてたっていうのは、小学生ぐらいで、もう中高ぐらいになると、いじめはしないんだけど……どっちかって言うと仲良かったっていう感じで、いじめっていうよりも、僕は沢田のファンになっちゃってたから。でも、だからもう、とにかく凄いんです、こいつのやることは。すっごい、バカなんだけど……勉強とかやっぱ全然できないんです、数学とかは。でも国語のテストとかになると、漢字だけはめちゃくちゃ知ってて、スッゲェ難しい字とかを、絶対読めないような漢字とか使って文章とか書くのね(笑)。文章とか、もう支離滅裂なんだけど、漢字だけは、もう難しい漢字で、しかも字が、原稿用紙に四マスに一文字の大きさで書いたかと思うと、次に、一マスに半分ぐらいの字で書いてたりとかして、もうグッチャグチャなの。それで、年賀状とか来たんですよ、毎年。あんまりこいつ、人に年賀状とか出さないんだけど、僕の所には何か出すんですよ(笑)。で、僕は出してなかったんだけど、でも来ると、ハガキに何かお母さんが、こう、線を定規で引いて、そこに「明けましておめでとう」とか「今年もよろしく」とか鉛筆で書いてあって、スゲェ汚い字で(笑)」

 「あと、こいつの凄いのは、学校の名簿を休み時間の間とか、ずーっと見とくのね。それで全部覚えてるのね、名前とクラスと、お父さんお母さんの名前とかも、住所と電話番号と、他のクラスに兄弟がいるかとか、そういうのも全部知ってて、学校に行く途中とかに、沢田に会うと、全然知らない下級生について、「沢田ぁ、あいつの名前何て言うの?」って聞いたら、「なんとかかんとか」って言って、「住所は?」って聞くと、「なんとかかんとか」って言って、全部知ってんですよ(笑)」

 「で、朝、こいつすっごい早く学校来るのね、誰もいない時間とかに。遅刻とか絶対しなくって。たまに僕、朝早く電車に乗ると、こいつもう、電車の中で超有名人で、他の学校とかにも。朝、いつも小田急線の中で、「コケコッコー」とか言う声が聞こえるんですよ。そうすると「あ、沢田がいる」(笑)ってみんな分かって。朝、絶対、小田急線の中でニワトリの鳴き声がすると、「あ、沢田が電車に乗ってるなぁ」という」

 「中学時代はねぇ、僕、ちょっとクラス離れちゃってて、あんまり……高校でまた、一緒になっちゃって、高校は、出席番号が隣だったから、ずっと席が隣だったのね、それでまたクラスに僕、全然友達いなくてさ(笑)」

 ―お互いアウトサイダーなんだ(笑)。

 「そう、あらゆる意味で(笑)。二、三人ぐらいしか仲いい奴とかいなくて、席隣りだからさ、結構また、仲良くなっちゃって……仲良くって言ったらアレなんだけど(笑)、俺、ファンだからさ、色々聞いたりとかするようになったんだけど。でも高校になったらねぇ、暴れ出すとか、そういう回数は減ったんだけど。ま、相変わらず、ウンコ漏らしたりするのは週一ぐらいでやってて、とにかく最初の頃は、デビュー当時っていうか(笑)、ウンコ漏らすって言ったら、それはもう学校中のイベントになっちゃって、たいがい、ウンコ漏らしたトイレに行ってさ、先生が全部、パンツとスボンを脱がして、ホースで水かけてさ、ジャーッとかやってるんですよ(笑)。それで午後はジャージになってて」

 「ジャージになると、みんなが脱がしてさ。でも、チンポを出すことなんて、別にこいつにとって何でもないことだからさ、チンポ出したままウロウロしているんだけど。だけど、こいつチンポがでっかくってさ、小学校の時からそうなんだけど、高校くらいになると、さらにデカさが増しててさ(笑)。女の子とか反応するじゃないですか。だからみんなわざと脱がしてさ、廊下とかを歩かせたりして。でも、もう僕、個人的には沢田のファンだから、「ちょっとそういうのはないなー」って思ってたのね。……ていうか笑ってたんだけど、そういうのやるのは、たいがい珍しい奴って言うか、外から来た奴とかだから」


 【 石川さゆり VS ジザメリ 】

 「学校で透明な下敷きに好きなの入れるのって流行るじゃないですか。僕とかも入れてたんだけど、それ見て真似したのか何なのか、ある日透明な下敷きを沢田が買ってきたんですよ。それで、「あの下敷きに何が入るのか?」って僕はかなり注目してたの。で、シャレでも何でもなくて、ホントに石川さゆりの写真が入ってたんですよ。それで「何、お前、石川さゆり好きなの?」って聞いたら「ウン」って言ってるの。ちょっとお母さんの「週刊女性」とかそういうのから切り取ったような。石川さゆりが出てる本なんて持ってないよね、高校生で(笑)。かなりタイプだったみたいで」

 ―ちなみに、同時期に小山田さんは下敷きに何を入れてたんですか?

 「何だ……ジーザス&メリーチェーンとか」

 ―(笑)。

 「こいつ、高校ぐらいになると、ちょっと性に目覚めちゃうんですよ、それがまた凄くてね、朝の電車とかで、他の学校の女子高生とかと一緒になったりするじゃん、そうすると、もう反応が直だからさ、いきなり足に抱きついちゃったりとかさ。あと、沢田じゃないんだけど、一個上の先輩で……そいつはもう超狂ってた奴だったんだけど……長谷川君(仮名)という人がいて、そいつとかもう、電車の中でオナニーとか平気でするのね、ズボンとか脱いで、もうビンビンに立ってて(笑)。いつも指を三本くわえてて、目がここ(右の黒目)とここ(左の黒目)が凄く離れてて、かなりキてる人で、中学だけで高校は行けなかったんだけど。沢田は、そこまではいかなかったけど、反応は直だから」

 「沢田はね、あと、何だろう……“沢田、ちょっといい話”は結構あるんですけど……超鼻詰まってるんですよ。小学校の頃は垂れ放題で、中学の時も垂れ放題で、高校の時からポケットティッシュを持ち歩くようになって。進化して、鼻ふいたりするようになって(笑)、「おっ、こいつ、何かちょっとエチケットも気にし出したな」って僕はちょっと喜んでたんだけど、ポケットティッシュってすぐなくなっちゃうから、五・六時間目とかになると垂れ放題だけどね。で、それを何か僕は、隣りの席でいつも気になってて。で、購買部で箱のティッシュを沢田にプレゼントしたという(笑)。ちょっといい話でしょ?しかも、ちゃんとビニールひもを箱に付けて、首に掛けられるようにして、「首に掛けとけ」って言って、箱に沢田って書いておきましたよ(笑)。それ以来沢田はティッシュを首に掛けて、いつも鼻かむようになったという。それで五・六時間目まで持つようになった。かなり強力になったんだけど、そしたら沢田、僕がプレゼントした後、自分で箱のティッシュを買うようになって」

 「でも別に、仲いいって言ってもさ、休みの日とか一緒に遊んだりとか、そういう事は絶対なかったし、休み時間とかも、一緒に遊んだりっていうのは、絶対なかったんだけど」


 【沢田の“プライマル・スクリーム”】

 ―休み時間はどこに?

 「僕は、休み時間は、他のクラスの奴とか仲いい奴いたから、何かどっか外行ったり、そういう感じだったけど。沢田は、……っていうか、こういう障害がある人とかって言うのは、なぜか図書室にたまるんですよ。図書室っていうのが、もう一大テーマパークって感じで(笑)。しかもウチの学年だけじゃなくて、全学年のそういう奴のなぜか、拠り所になってて、きっと逃げ場所なんだけど、そん中での社会っていうのがまたあって。さっき言った長谷川君っていう、超ハードコアなおかしい人が、一コ上で一番凄いから、イニシアチブを取ってね、みんなそいつのことをちょっと恐れてる。そいつには相棒がいて。耳が聞こえないやつで、すっごい背がちっちゃいのね。何か南米人とハーフみたいな顔をしてて、色が真っ黒で、そいつら二人でコンビなのね。で、そいつら先輩だから、ウチの学年のそういう奴にも威張ってたりとかするの。何かたまに、そういうのを「みんなで見に行こう」「休み時間は何やってるのか?」とか言ってさ。そういうのを好きなのは、僕とか含めて三、四人ぐらいだったけど、見に行ったりすると、そいつらの間で相撲が流行っててさ(笑)。図書館の前に、土俵みたいなのがあって、相撲してるのね。その長谷川君っていうのが、相撲が上手いんですよ。凄い、足掛けてバーンとか投げる技をやったりとかすんの。素人じゃないの。小人プロレスなんて比じゃない!って感じなんですよ、もう(笑)。で、やっぱりああいう人たちって……ああいう人たちっていう言い方もあんまりだけど……何が一番凄いかって、スクリーミングするんですよ。叫び声がすごくナチュラルに出てくる。「ギャーッ」とか「ワーッ」とかいう声って、普通の人ってあんまり出さないじゃないですか、それが、もう本当に奇声なんか出てきて、すごいんです」

 「その中で沢田って、その人たちからしてみれば、後輩なんだけど、体とかデカい、でも、おとなしいタイプなのね。フランケン・タイプっていうか。だけど怒らすと怖いって感じで。で、その軍団でたまに食堂で食うんですよ。リーダーの長谷川君がラーメンとか頼むと、箸ちゃんと持てないから、半分は口に入るんだけど、半分はお盆に落ちるのね。そうすると、また、こうやって(お盆に口をつける)食ったりしてるの。その中で一回、ケンカになっちゃったの、食堂で。沢田に対して長谷川が何かをやったかなんかで、沢田があんまり切れないんだけど、久々に切れて、お茶があるじゃない、それをかけちゃったんですよ」

 ―学校って図書室とか用務員室とか、もの凄いはっきりとした“場所”がありますよね。理科室とか、体育倉庫とか。何かが起こりやすい。

 「太鼓クラブとかは、もうそうだったのね。体育倉庫みたいなところでやってたの、クラブ自体が。だから、いろんなものが置いてあるんですよ、使えるものが。だから、マットレス巻きにして殺しちゃった事件とかあったじゃないですか、そんなことやってたし、跳び箱の中に入れたりとか。小道具には事欠かなくて、マットの上からジャンピング・ニーバットやったりとかさー。あれはヤバイよね、きっとね(笑)」

 いじめ談義は、どんな青春映画よりも僕にとってリアルだった。恋愛とクラブ活動だけが学校じゃない。僕の学校でも危うく死を免れている奴は結構いたはずだし、今でも全国にいるだろう。小山田さんには、いじめられっ子の二人目、村田さん(仮名)の話もしてもらった。


 【 毒ガス攻撃 】

 「村田は、小学生の頃からいたんですよ。こいつはちょっとおかしいってのも分かってたし。だけど違うクラスだったから接触する機会がなかったんだけど、中学に入ると、同じクラスになったから。で、さまざまな奇行をするわけですよ。村田っていうのは、わりと境界線上にいる男で、やっぱ頭が病気でおかしいんだか、ただバカなんだか、というのが凄い分りにくい奴で、体なんかもちっちゃくて、それでこいつは沢田とは逆に癇癪が内にむかうタイプで、いじめられたりすると、立ち向かってくるんじゃなくて、自分で頭とかを壁とかにガンガンぶつけて、「畜生、畜生!」とか言って(笑)、ホントにマンガみたいなの。それやられるとみんなビビッて、引いちゃうの。「あの人、やばいよ」って」

 「お風呂に入らないんですよ、こいつは(笑)。まず、臭いし、髪の毛がかゆいみたいで、コリコリコリコリ頭掻いてるんですよ。何か髪の毛を一本一本抜いていくの。それで、10円ハゲみたくなっちゃって、そこだけボコッとハゲてルックス的に凄くて。勉強とか全然できないし、運動とかもやっぱ、全然できないし」

「段ボールの中に閉じ込めることの進化形で、掃除ロッカーの中に入れて、ふたを下にして倒すと出られないんですよ。そいつなんかはすぐ泣くからさ、「アア〜!」とか言ってガンガンガンガンとかいってやるの(笑)。そうするとうるさいからさ、みんなでロッカーをガンガン蹴飛ばすんですよ。それはでも小学校の時の実験精神が生かされてて。密室ものとして。あと黒板消しはやっぱ必需品として。”毒ガス”ものとして(笑)」

 「村田は、別に誰にも相手にされてなかったんだけど、いきなりガムをたくさん持ってきて、何かみんなに配りだして。「何で、あいつ、あんなにガム持ってるんだ?調べよう」ってことになって、呼び出してさ、「お前、何でそんなにガム持ってるの?」って聞いたら、「買ったんだ」とか言っててさ。三日間ぐらい、そういう凄い羽振りのいい時期があって。そんで付いて行って、いろんなもん買わせたりして。そんで、三日間くらいしたら、ここに青タン作って学校に来て。「おまえ、どうしたの?」とかきいたら、「親にブン殴られた」とか言ってて(笑)。親の財布から一五万円盗んだんだって。でも何に使っていいか分かんないから、ガム買ったりとかそういうことやって(笑)。だから、そいつにしてみればその三日間っていうのはね、人気があった時代なんですよ。一五万円で人が集まって来て。かなりバカにされて、「買えよ」って言われてるだけなのに。全然、沢田なんかよりも普通に話せるしね。体がおかしいとか、障害があるような、そういうタイプでもないっぽいんですよ」

 しかしどんなタイプの奴でも行かなきゃいけないのが修学旅行だ。この学校行事最大のイベントで、何も起こらない訳がない。


 【 奇妙な立場 】

 「中三の時、一コ上の先輩でダブっちゃった人が下りて来たんですよ、ウチのクラスに。で、その人が渋カジの元祖みたいな人で。サーファーで。中学生のくせに凄い遊んでいるような人で。バカな先輩なんだけど。でも僕はわりと仲が良かったのね。で、同じ班になっちゃって、そのまま修学旅行に行くことになっちゃったんですよ。そのメンツっていうのが、村田と僕とその渋カジ(笑)。三人同じ班で。かなりすごいキャラクター(笑)。好きなもんどうしが集まったとかじゃ全然なくて(笑)、たまたまそういう班だったんですけど。そいで修学旅行とか行ったら同じ班じゃないですか。密室だしさ…他の班の奴とかも色々来てたりしてさ。で、ウチの班で布団バ~ッとひいちゃったりするじゃない。するとさ、プロレス技やったりするじゃないですか。たとえばバックドロップだとかって普通できないじゃないですか?だけどそいつ軽いからさ、楽勝でできんですよ。ブレンバスターとかさ(笑)。それがなんか盛り上がっちゃってて。みんなでそいつにプロレス技なんかかけちゃってて。おもしろいように決まるから「もう一回やらして」とか言って。それは別にいじめてる感じじゃなかったんだけど。ま、いじめてるんだけど(笑)。いちおう、そいつにお願いする形にして、「バックドロップやらして」なんて言って(笑)、”ガ~ン!”とかやってたんだけど。

 で、そこになんか先輩が現れちゃって。その人はなんか勘違いしちゃってるみたいでさ、限度知らないタイプっていうかさ。なんか洗濯紐でグルグル縛りに入っちゃってさ。素っ裸にしてさ。そいでなんか「オナニーしろ」とか言っちゃって。「オマエ、誰が好きなんだ」とかさ(笑)。そいつとか正座でさ。なんかその先輩が先頭に立っちゃって。なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか。だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。そうすると、僕なんか奇妙な立場になっちゃうというか。おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど。「ここはヤバイよな」っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、その人の場合だとかなりハードコアまで行ってて。「オマエ、誰が好きなんだ」とか言って。「別に…」なんか言ってると、パーン!とかひっぱたいたりとかして。「おお、怖え~」とか思ったりして (笑)。「松岡さん(仮名)が好きです」とか言って(笑)。「じゃ、オナニーしろ」とか言って。「松岡さ~ん」とか言っちゃって。かなりキツかったんだけど、それは」

 以上が2人のいじめられっ子の話だ。この話をしてる部屋にいる人は、僕もカメラマンの森さんも赤田さんも北尾さんもみんな笑っている。残酷だけど、やっぱり笑っちゃう。まだまだ興味は尽きない。


 【 「小山田の家に行く」 】

 ―他にいじめてた人はいるんですか?

 「いじめっていうのとは全然違って、むしろ一緒に遊んでた奴なんだけど、朴(仮名)ってのがいて。こいつは名前の通り朝鮮人なんだけど、朝鮮学校から転校して来たのね。で、なんでからかわれたんだっけ……、とにかく、本当にピュアでいい奴なのね。だからなんだろうけど。あ、思い出した!これ実は根深いんだけど。初日の授業で、発表の時にはりきって「はい」って手挙げたんだけど、挙げ方がこんな(ウルトラマンのスペシウム光線に似たポーズ)だったのね。それで教室中大爆笑になって、それでからかわれ始めた。でもそれは朝鮮学校の手の挙げ方だったのね」

 「あと、こいつの家は親が厳しくて、門限が五時とか。で、無理やりひきとめてサ店とか入って、食うだけ食って五時過ぎたら「じゃあ!」とか言って(笑)」

 「ここの親は、怒るとすぐ子供を坊主にしちゃうのね。で、朴がラジカセを買うって一万円ためてたんだけど、ある時、ベランダに閉じ込められて、窓とか鍵閉められちゃったの。そしたら窓ガラス蹴り破って出て来て。先生に叱られて結局ラジカセの一万円でガラス代弁償することになったの(笑)。次の日、やっぱりこいつ坊主になってました(笑)」

 「で、ある日「おまえ、そんな家出ちゃえよ。ウチ泊めてやるからさ」とか半分冗談でアドバイスしたら、ホントに朝の六時に駅から電話かかってきた。仕様が無いから迎えに行って家に置いてあげたんだけど、こいつのバッグが着替えじゃなくて教科書で一杯でさ。夏休みなのに(笑)。しかも弟に「小山田の家に行く」って思いっきり告げてきちゃったらしくて、結局すぐ親が迎えに来て。僕は怒られた(笑)」

 全く、いちいち面白い人のいる学校だ。和光とは、一体どんな学校なのか?

 「他だったら特殊学級にいるような子が普通クラスにいたし。私立だから変わってて。僕、小学校の時からダウン症って言葉、知ってたもん。学校の裏に養護学校みたいなのがあるんですよ。町田の方の田舎だから、まだ畑とか残ってて。それで、高校の時とか、休み時間にみんなで外にタバコ吸いに行ったりするじゃないですか。で、大体みんな行く裏山があって。タバコ吸ってたり、ボーッとしてたりなんかするとさ、マラソンしてるんですよ、その養護学校の人が。で、ジャージ着てさ、男は紺のジャージで、女はエンジのジャージで、なんか走ってるんですよ。で、ダウン症なんですよ。「あ、ダウン症の人が走ってんなあ」なんて言ってタバコ吸ってて。するともう一人さ、ダウン症の人が来るんだけど、ダウン症の人ってみんな同じ顔じゃないですか?「あれ?さっきあの人通ったっけ?」なんて言ってさ(笑)。ちょっとデカかったりするんですよ、さっきの奴より。次、今度はエンジの服着たダウン症の人がトットットとか走って行って、「あれ?これ女?」とか言ったりして(笑)。最後一〇人とか、みんな同じ顔の奴が、デッカイのやらちっちゃいのやらがダァ~って走って来て。「すっげー」なんて言っちゃって(笑)」

 この養護学校も、今は無いらしい。小山田さんが話しているのは、一〇年近く前の話だから、そういうこともあっておかしくない。では、いじめられっ子たちはその後どうしているのだろう。僕の学校の場合、同学年の奴のその後って全然付き合いの無かった奴のも含めて、「学校やめた」とか「宗教入った」とか結構情報が伝わってくるのだが、不思議なことにいじめられっ子のその後についてはまったく情報がない。小山田さんは知ってるだろうか。

 【 ファースト・クエスチョン・アワード 】

 「中学の同窓会があって。なぜか村田が来て。久々だから、みんなで「インタビューしよう」ってなって(笑)。「おまえ、今何やってんの?」とか聞いたら、「ビートルズのファンクラブ入っちゃった」とか言って(笑)。ビートルズと荻野目洋子のファンクラブに入ったとか言って、会員証をオレとかに見せびらかして(笑)」

 「あのね、沢田にはね、「あれは実は演技なんだ」っていう噂が流れてて(笑)。なんか一時期「沢田をどっかで見た」っていうウワサが流れてて。「そん時は沢田は普通だった」ってね。「安部公房かなんかの本を読んでた」とかね(笑)」

 「もともと噂の発端がいて。一コ下にやっぱ凄い奴で、犬川君(仮名)っていうのがいたんだけど。そいつはホントにマトモになったんですよ。後に「あの頃の俺は俺じゃない」とか言っちゃうような(笑)」

 ―いるんだ、そういう人も。

 「ウン。で、ちっちゃい頃に感電したとか言って、なんか体の半分ブワ~っとケロイドみたくなっちゃってて。手のところからブワ~っとなってて。「オレは感電してバカになった」とか自分で言って(笑)。で、いつも学校にすげー早く来てて、校門の前にいるんですよ。それでみんなが通学してくると、いきなり寄って来て「問題を出す」とか言って(笑)。答えられないような、すっごい難しい問題を出してくるんですよ。ホント、禅問答みたいな問題を出してくるの。「赤と緑、どっちが黄色?」とか、そんな問題を出してくるのね。「えー」とか言って、「何言ってんだよ」とか言ってね。なんか適当に答えたりすると「ブー」とか言ってね、ツバかけてくんの(笑)。そうそう、スフィンクスみたいなの。で、ツバをペッ!ってかけてくんの。俺とか先輩だから「ふざけんなよ!」とか言って、バ~ンとか蹴っ飛ばしたりするんだけど。全然、バ~ンとかブッ倒れてもへこたれないの。またフラフラ~ッと次の獲物に行って、「問題を出す」とか言って(笑)」

 「ホント、質問大賞はアイツなんですよ。ホントに質問大賞なんですよ。」


 【いじめられっ子に会いに行く】

 事実を確かめなきゃ。
 小山田さんにいじめられっ子の名前を教えてもらった僕は、まず手紙を書いた後、彼らとコンタクトをとっていった。何かロードムービーの中に入り込んだような感覚になる。

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 ●4月6日

 村田さんの家に電話する。お母さんが出た。聞けば、村田さんは、現在はパチンコ屋の住込み店員をやっているという。高校は和光を離れて定時制に。お母さん「中学時代は正直いって自殺も考えましたよ。でも、親子で話し合って解決していって。ウチの子にもいじめられる個性みたいなものはありましたから。小山田君も元気でやってるみたいだし」
 住込みの村田さんは家族とも連絡がとれないらしい。パチンコ屋の電話番号は、何度尋ねても教えて貰えず、最後は途中で電話を切られた。

 ●4月28日

 沢田さんに電話してもお母さんが出た。電話だけだとラチが開かないので、アポなしでの最寄り駅から電話。「今近くまで来てるんですが……」田園調布でも有数の邸宅で、沢田さんと直接会うことができた。お母さんによれば“学習障害”だという。家族とも「うん」「そう」程度の会話しかしない。現在は、週に二回近くの保健所で書道や陶器の教室に通う。社会復帰はしていない。
 お母さん「卒業してから、ひどくなったんですよ。家の中で知ってる人にばかり囲まれてるから。小山田君とは、仲良くやってたと思ってましたけど」

 寡黙ながらどっしりと椅子に座る沢田さんは、眼鏡の向こうから、こっちの目を見て離さない。ちょっとホーキング入ってる。

 ―対談してもらえませんか?

 「(沈黙……お母さんの方を見る)」

 ―……小山田さんとは、仲良かったですか?

 「ウン」

 数日後、お母さんから「対談はお断りする」という電話が来た。

 ●5月1日

 朴さんは、電話してもマンションに行っても違う人が出た。手紙も「宛て所に尋ねあたりません」で戻って来た。

 ●5月15日

 小山田さんは「そこまでして記事が形にならないのは……」と言ってくれ、ライターの僕のために、レコーディングに入っていたにもかかわらず、二度目の取材に応じてくれた。まず、小山田さんに会い、村田さんのその後のことを報告した。

 ーーーー

 「でもパチンコ屋の店員って、すっげー合ってるような気がするな。いわゆる……根本(敬)さんで言う「いい顔のオヤジ」みたいなのに絶対なるタイプって言うかさ」

 ―もし対談できてたら、何話してますか?

「別に、話す事ないッスけどねえ(笑)。でも分かんないけど、今とか会っても、絶対昔みたいに話しちゃうような気がするなあ。なんか分かんないけど。別にいじめるとかはないと思うけど。「今何やってんの?」みたいな(笑)。「パチンコ屋でバイトやってんの?」なんて(笑)。「玉拾ってんの?」とか(笑)。きっと、そうなっちゃうとおもうんだけど」

 ―やっぱ、できることなら会わないで済ましたい?

「僕が?村田とは別に、あんま会いたいとは思わないけど。会ったら会ったでおもしろいかなとは思う。沢田に会いたいな、僕」

 ―特に顔も会わせたくないっていう人は、いない訳ですね?

 「どうなんだろうなあ?これって、僕って、いじめてる方なのかなあ?」

 ―その区別って曖昧です。

 「だから自分じゃ分かんないっていうか。「これは果たしていじめなのか?」っていう。確かにヒドイことはしたし」

 ―やましいかどうかっていう結論は、自分の中では出てない?

 「うーん……。でも、みんなこんな感じなのかもしれないな、なんて思うしね。いじめてる人って。僕なんか、全然、こう悪びれずに話しちゃったりするもんねえ」

 ―ええ。僕も聞きながら笑ってるし。

 全然消息のつかめなかった、朴さんの事も報告した。

 「今、なんか『朝鮮のスパイだった』って噂が流れてて(笑)。「俺ら殺されるわ」とか言って。ホントにいなくなったっていうのは、僕も誰かから聞いてたんですよ。誰も連絡とれなくなっちゃったって。だから噂が流れて」

 ―いま会ったら、何話します?

 「あやまるかなあ、スパイだったとしたら(笑)。とりあえず『ごめんなさい』って。でもそんな朴とか、一緒に遊んでたからな。あやまるっていう程でもないかな」



 【 “いじめ紀行”の終点 】

 最後に、小山田さんが対談するなら一番会いたいと言っていた、沢田さんのことを伝えた。沢田さんは、学校当時よりさらに人としゃべらなくなっている。

 「重いわ。ショック」

 ―だから、小山田さんと対談してもらって、当時の会話がもし戻ったら、すっごい美しい対談っていうか……。

 「いや~(笑)。でも俺ちょっと怖いな、そういうの聞くと。でも…そんなんなっちゃったんだ……」

 ―沢田さんに何か言うとしたら……

 「でも、しゃべるほうじゃなかったんですよ。聞いた事には答えるけど」

 ―他の生徒より聞いてた方なんですよね? 小山田さんは。

 「ファンだったから。ファンっていうか、アレなんだけど。どっちかっていうとね、やっぱ気になるっていうかさ。なんかやっぱ、小学校中学校の頃は「コイツはおかしい」っていう認識しかなくて。で、だから色々試したりしてたけどね。高校くらいになると「なんでコイツはこうなんだ?」って考える方に変わっちゃったからさ。だから、ストレートな聞き方とかそんなしなかったけどさ、「オマエ、バカの世界って、どんな感じなの?」みたいなことが気になったから。なんかそういうことを色々と知りたかった感じで。で、いろいろ聞いたんだけど、なんかちゃんとした答えが返ってこないんですよね」

 ―どんな答えを?

 「「病気なんだ」とかね」

 ―言ってたんだ。

 「ウン。……とか、あといろんな噂があって。「なんでアイツがバカか?」っていう事に関して。子供の時に、なんか日の当たらない部屋にずっといた、とか。あとなんか「お母さんの薬がなんか」とか。そんなんじゃないと思うけど(笑)」

 ―今会ったとすれば?

 「だから結局、その深いとこまでは聞けなかったし。聞けなかったっていうのは、なんか悪くて聞けなかったっていうよりも、僕がそこまで聞くまでの興味がなかったのかもしれないし。そこまでの好奇心がなかったのかも。かなりの好奇心は持ってたんだけど。今とかだったら絶対そこまで突っ込むと思うんだけど。その頃の感じだと、学校での生活の一要素っていう感じだったから。でも他のクラスの全然しゃべんないような奴なんかよりも、個人的に興味があったっていうか」

 ―沢田さんが「仲良かった」って言ってたのが、すごい救いっていう……

 「ウン、よかったねえ」

 ―よかったですよね。

 「うれしいよ。沢田はだからね、キャラ的(キャラクター)にも、そういう人の中でも僕好みのキャラなんですよね。なんか、母ちゃんにチクったり、クラスの女の子に逃げたりしないしね。わりとそういう特技なんかも持ってるっていう(笑)。なんか電話番号覚えてたり、漢字うまかったりさ。「レインマン」みたいな。あの頃「レインマン」なんかなかったけどさ、でも「もしかしたら、コイツは天才かもしんない」とか思うようなこともやるしさ。結構カッコいいんですよ、見方によっては」

 ―“演技だった”っていう噂も、流れておかしくない……。

 「「ああ~、疲れた」とか言ってね(笑)。「やっと帰ったわ」とか言って、シャキーンとかして(笑)。そうかもしれないって思わせる何かを持ってたしね。それで、たまに飽きてきた頃にさ、なんかこう一個エピソードを残してくれるっていうかさ。石川さゆりの写真とか入れて来たりだとかさ。そんなの普通「ギャグじゃん」とか思うじゃん?その人選からしてなんか、ねえ」

 ―天然……。

 「天然……。ホント「天然」って感じの」

 ―小山田さんの音楽は、聴いてないそうです。

 「聴かしたいなあ(笑)。どういう反応をするんだろうなあ(笑)。ま、別に大した反応はしないですよ、多分。ま、音楽とかそんなに興味ある訳じゃないから」

 ―街で会っちゃったりしたら、声はかけますか?

 「はーん……分かるかな?」

 ―沢田さんは、覚えてますよ。

 「覚えてるかな?」

 ―ええ。すっごい覚えてると思うな、僕の会った感触では。

 「そうですね……。沢田とはちゃんと話したいな、もう一回。でも結局一緒のような気もするんだけどね。「結局のところどうよ?」ってとこまでは聞いてないから。聞いても答えは出ないだろうし。「実はさ……」なんて言われても困っちゃうしさ(笑)。でも、いっつも僕はその答えを期待してたの。「実はさあ……」って言ってくれるのを期待してたんですよね、沢田に関してはね、特に」

 ―……ところで、小山田さんはいじめられたことってないんですか。学校に限らず。


 「はー。多分、僕が気付かなかったっていうだけじゃなく、なかったと思うんですよ。被害者とか思ったことも、全然ないですね」


 今回僕が見た限りでは、いじめられてた人のその後には、救いが無かった。でも僕は、救いがないのも含めてエンターテイメントだと思っている。それが本当のポジティヴってことだと思うのだ。
 小山田さんは、最初のアルバム「ファースト・クエスチョン・アワード」発売当時、何度も「八〇年代的な脱力感をそんな簡単に捨てていいのかな」という趣の発言をしていた。これを僕は、“ネガティヴなことも連れて行かないと、真のポジティヴな世界には到達できない”ということだと解釈している。

 でも、いや、だからこそ、最後は小山田さんのこの話でしめくくりたい。


 「卒業式の日に、一応沢田にはサヨナラの挨拶はしたんですけどね、個人的に(笑)。そんな別に沢田にサヨナラの挨拶をする奴なんていないんだけどさ。僕は一応付き合いが長かったから、『おまえ、どうすんの?』とか言ったらなんか『ボランティアをやりたい』とか言ってて(笑)。『おまえ、ボランティアされる側だろ』とか言って(笑)。でも『なりたい』とか言って。『へー』とかって言ってたんだけど。高校生の時に、いい話なんですけど。
 でも、やってないんですねえ」


 ーーーーーーーーーー

●特集の最後のページは、沢田さんが小山田氏に送った年賀状が、原寸大のはがきサイズのまま転載されている。

「明けましておめでとうございます。
 手紙ありがとう。
 三学期も頑張ろう。
 昭和五十六年元旦」




●いかがでしょう?
初めてこの文章を読んだ方からすれば、言語道断な内容にビックリするかと思います。

●繰り返すようですが、ボクは小山田圭吾氏を擁護するつもりはありません。彼はいじめ加害者でありましたし、そのいじめ加害を反省することなく武勇伝のように語っています。弁護の余地はありません。
●その上で、ボクはボク自身の腹の中に重く苦くつっかえるような、複雑な感情を、どうしても抱いてしまいます。なぜならば、90年代という時代にボクは小山田圭吾 = CORNELIUS の音楽を少なからず支持してきたのですから。その事実に、どのようにオトシマエをつけるべきか、今ボクは悩んでいます。

●その詳細については、次の記事にまとめてみます。もうこの記事が十分に長くなってしまったので(ただ、ちょっとお時間をください…今なお、苦闘しています)。

<追記>:ボク自身なりの考えを、なんとかまとめてみました。こちらの記事をご参照ください。
 2021.07.28 東京オリンピック開会式。小山田圭吾の辞任について思い悩む。「QUICK JAPAN」1995年第3号のテキストに寄り添い、その問題を分解する。そしてボク自身の自己批判。


●なお、このブログ記事は、北尾修一氏が自らのサイトで発信した記事からいただいた内容も加味させてもらいました。7月末までの限定公開なので、いづれ読めなくなってしまうのですが、当事者の証言としては重要だと思います(当事者なりのバイアスももちろんあると思いますが)。もし可能ならば、ご参照ください。
 http://live.millionyearsbookstore.com/ 「百万年書房LIVE」



知的財産権の資格試験のために、最近はシコシコと勉強してたんだけど。
またしても、不合格だった。自己採点したら、あと二問マルが足らなかった。
●はあ、ガックリ。くー、あと二問!惜しい!
●今回は、かなり値の張る参考書をネットで購入して、著作権法改正、民法改正、超苦手分野の民事訴訟法から、不正競争防止法、独占禁止法、著作権等管理事業法、プロパイダ責任制限法、電子商取引、国際取引、契約、資金調達、重要な判例、そんでいつも痛い目にあってる知財関連の国際条約、アメリカ/中国の著作権法までを網羅して準備したつもりだったのに…やっぱり頑張りが足りなかった…。その場で英文契約を読んで答える問題はヤマカン的中でバッチリ決めたつもりだけど、ノーガード状態だった知財の価値評価問題が出てきて完全にアワ食ってしまった。あとフランスの著作権法、あんなのどんな準備をすりゃイイんだ…。問題に登場した判例も、チェックしてた内容だったのに頭に入ってなかった…。
うー。もう4年くらい挑戦してるのに、全然合格できない。クジけそう。今年も更なる著作権法の改正が国会を通ったので、来年の試験の時には、また新しいルールを覚えなおさないといけないやー。

●とかしているうちに、東京都は「緊急事態宣言」シーズン4に突入。
●ふー。
先月にワクチン一回目を接種できたからといって、生活は何も変わってない。飲み会もしないし、リモート勤務中心で会社にも月五回も出ない、電車に乗るのも最低限で月数回ほど、基本は地元を徒歩でウロウロするだけの行動半径。マスクは暑いがしっかりつけてます。
●ウチの会社の「職域接種」、ボクは基礎疾患持ちが理由でかなり順番を優先してもらったが、結局ウチの部署50人、あと数人を残して一回目の接種を完了するところまで来た。正社員だけでなく派遣スタッフさんや関連会社メンバーも含めてカバー。一方で接種を希望しない人もいるようだが、誰がワクチンを打って、誰がワクチンを打ってないかはよくわからんので、何かワクチンをめぐって差別的な状況も生まれていない。自治体で予約した方がいいと判断してる人もいるし、会社が供給するモデルナ製じゃなくて自治体が用意するファイザー製ワクチンがいいと考えている人もいる。
●ただ、人事部を中心に、接種のためのオペレーションが猛烈な負担になってて大荒れのようだけど…。あまりに過酷な調整で担当管理職の先輩が、闇堕ちして人格が変わってしまったとのウワサが流れてきた、やっぱ大変なんだなあ。
●娘ヒヨコは「大学で接種」することに。ヒヨコ自身の大学は、規模が小さいので学生への接種はできないとしていたのだけれども、別の大きな大学がまとめて面倒を見てくれることになり、無事一回目の接種完了。名古屋に住む長男ノマドも自分の大学で7月後半に接種と決まっている。医学部がある大学は、打ち手がイッパイいるから対応できるのかな?
●ワイフは地域の「個別接種」を先月やったけど、その個人経営の小さな病院では、ワクチンの供給が止まって新規の予約受付ができなくなったそうな。ワクチン供給は日本全体で混乱してるけど、まずは一回目を確保できた我が家はかなりラッキーだったのだろう。

オリンピックもなー。
実は、日本武道館で行われる空手のチケットを持ってた。このチケットを予約した一昨年の段階では、コロナなんてまだ知らなかった。空手を習ってる小学生の甥っ子にオリンピックの空手を見せてあげたいと思ってゲットしたんです。その時は、まさかこんなオリンピックになるなんて、予想できなかったなあ。で、結局、無観客になったのだけど、チケット代金の払い戻しとかはまだキチンとした案内がない。まー観客を入れての開催になったとしても、もう名古屋に住む甥っ子たちは、オリンピックで東京に来るつもりなんて一ミリもなくなっちゃってた。
18歳の娘ヒヨコ、オリンピック会場での物販バイトが決まってたのに正式にキャンセル。この物販バイト、人員が足りなくて直前まで1000人単位の募集がかかってたのに、いきなり全部バラシ。こちらも大混乱だろう。リモート研修を受けたヒヨコはその4時間分のバイト代はもらえるとな。まあこの程度はまだしも、そもそもで大量の物販グッズ在庫はどうなるのかね、大会終わったらライセンスが切れて廃棄でしょ。もっと早くアレコレを決断してたら、無駄なコストを省けたかもしれないと思うけど、全部ドロナワになっちゃうのはもうしょうがないのか。

●あ、会社の近所にある、タワーレコード汐留店、いつの間にか潰れてなくなってた。
●派遣デスクさんに聞いたら、あれ?もう何ヶ月も前になくなってましたよーとのこと。新譜買わないから気づかなかったー。
●新橋駅の地下街にあった坦々麺の美味しいお店、これも閉店してた。仕方ないから、立ち飲み屋さんが新しく始めたランチのラーメンを食べてみたら、死ぬほど塩っぱくてビックリ、申し訳ないけどコレは今後は食べられない。
●なんだか、マジでサバイバルだな。誰がラストマン・スタンディングになれるか?みたいな感じだ。


●もう、大人しく音楽を聴くしかないよ…。

JIMI HENDLIX「WOODSTOCK」

JIMI HENDLIX「WOODSTOCK」1969年
●映画「ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間(ディレクターズカット)」は、DVDというメディアが登場して一番最初に買ったモノだ。初めて買ったレコードやCDが話題になるとしたら、初めて買ったDVDももっと話題になっていいはずだ。オマケに言えばこれと一緒に買ったDVDはタランティーノ脚本の「トゥルー・ロマンス」と、アル•パチーノ主演の「狼たちの午後」コーエン兄弟「ビッグ・リボウスキ」だ。
●で、その映画「ウッドストック」では、JIMI のパフォーマンスが最後のクライマックスに登場する。でもそこで見られる演奏は3曲分しかないのですね、「VOODOO CHILE」、かの有名なアメリカ国家のディストーション演奏、からの「PURPLE HAZE」。だから、このCDであのライブの全部を聴けるのはステキ!と思った次第。しかし実は、このCDもあくまで編集盤で、ライブの全ては入ってないし曲の順番も入れ替えられてましたけど。このCDは1994年のリリースだけど、1999年リリースの2枚組CDの方が忠実な曲順になってるらしい。
とは言え、キレッキレの演奏のスゴさは十分に堪能できるのです。やっぱこの人天才なんだー。編集の結果、キャッチーな有名曲「FIRE」からCDはスタートしてわかりやすくテンションを上げてくれるが、二曲めのファンキーなブラックロック「IZABELLE」のベースラインが放出する黒煙がパワフルで、その上で縦横無尽に暴れ回る JIMI の壮絶さから本当の意味でのヤバさが始まる。本当のライブでは序盤で演奏された「HEAR MY TRAIN A COMIN'」は実直なブルースロックと見せかけて、9分間の長尺を好きなだけフリースタイルかつスリリングなジャムセッションに費やす姿勢がスゴイ。トリオバンド EXPERIENCE の白人ドラマー MITCH MITCHELL のソロも盛り込んだ「JAM BACK AT THE HOUSE」もボーカルパートすらない奔放なジャムセッションスタイル。どこまでが緻密に仕組まれた段取りで、どこまでが野放図なアドリブなのか全然見分けがつかないが、演奏の長さを一ミリも感じさせないスリルの連続に驚嘆するしかない。しかし、やっぱり12分以上に及ぶ「VOODOO CHILE」の演奏が一番スゴイ。俊敏な猛獣が一瞬たりとも動きを止めずに叫びながら跳ね回っているようだ。そこに寄り添うファンキーなベースが非常に効果的でここも見逃せない…BILLY COX という人物、JIMI の後期のバンド BAND OF GYPSYS のメンバーではないか…ウッドストックの演奏メンバーは JIMI HENDLIX EXPERIENCE から BAND OF GYPSYS の過渡期なのか。ここまで来て、アメリカ国家「THE STAR SPANGLED BANNER」のギターソロ演奏が出てくる。一斉に会場から歓声が湧く様子まで聴こえる。でもここからこの国家のフレーズをグッチャグッチャに解体してしまうのですよね、でもしょうがない、JIMI にはその瞬間この音が聴こえてきてそれを演奏すべしと神がささやいたのだから。その暴挙から直結して始まる「PURPLE HAZE」への流れはホント最高。この曲のタイトに決まったキャッチーさは格別、JIMI の曲の中でも一番好きかも。その後さらにハイテンションなギター一本のインプロヴィゼーションが続いての終盤は、どこか哀愁とメロウネスを感じさせる楽曲「VILLANOVA JUNCTION」へ。映画「ウッドストック」もこの演奏を、イベントが終わってゴミだけが残った会場の様子を見せる時のBGMに使っている。
JIMI は背が高い人で(180cmくらいあるらしい)、手が大きく指が長くて、だから、少し高めに構えているストラトキャスターがなんだかちょっと小さく見えるのですね。オマケにサウスポーとあって左右逆にギターを持つのだけど、ここで左利き用を使うのではなく、右利き用をそのまま逆向きしてに使う。だから普段は上を向いてる六本のペグが下を向いてるし、弦の下にあるはずのアームレバーが上にあって、違和感ハンパない。で、JIMI はそんなギターを奔放に振り回して轟音プレイを無限に続けていく(手前にあるアームもギャンギャンに使う)。映像で見てると、彼がプレイしているのは実はギターとは違う楽器なのではないか?というようなゲシュタルト崩壊みたいな感覚すら感じるのです。

SHA NA NA「ROCK ROLL IS HERE TO STAY」

SHA NA NA「ROCK & ROLL IS HERE TO STAY」1969年
●なぜ今ウッドストックの音源が聴きたくなったかというと、やはりウッドストックに出演したこのコーラスグループ SHA NA NA のLPレコードを100円でゲットしたから。映画の中では、金ラメで光るツナギのスーツを着た3人組がマヌケなダンスをドタバタ踊るヘンテコパフォーマンスが、いかにもザコキャラな存在感で、実際出演シーンも90秒ばかり。その雑な扱いでむしろ逆に印象深かった気が。実は彼ら、当時は活動を始めたばかりで、デビューする前にウッドストックに出演しちゃったそうな。この音源はその後にリリースされたファーストアルバム。変なダンスの3人組ばかりが目立ってたけど、実は12人組の大所帯コーラスグループであった…今回初めて知った。
●で、実際に音源を聴いてみたら、50年代後半の古典的ロックンロールのカバーばかりをする人たちであった…いやいや知らんことばかり。ELVIS PRESLEY「HEARTBREAK HOTEL」もやるし、LITTLE RICHARD「LONG TALL SALLY」もやる。あとの曲は、THE FLAMINGOS とか THE DEL VIKINGS とか、ドゥーワップなグループのヒット曲らしい。いやこのへん全然知識が追いつかないのだけれど。ということで、彼らは70年代に50年代リバイバルを仕掛け、日本のラッツ&スターやクールスにも影響を与えた存在なのだという…いやーWIKIにそう書いてあったので。まー意外な事実が発覚。
●ちゃんと聴いてみると、確かに真面目に歌ってまして、真っ当な感じが伝わってきますね。彼らニューヨークの名門コロンビア大学出身だそうで、だからフザケているようで、真面目さが滲み出ちゃうんでしょうね。



●SHA NA NA「AT THE HOP」。ズバリ、ウッドストックでのパフォーマンス。やっぱり変な連中。



●JIMI HENDLIX「VOODOO CHILE」。これもウッドストック。フレット板に置いた右手だけで演奏しちゃうトコとかカッコいい。


2021.07.05

●ブログの SSL 証明書の有効期限が切れてしまった、みたいだ。
●このトラブル、どうやったら解消できるんだろう?
●ここにきて、ブログの引っ越しとか、大変すぎてイヤだなあ。

●そもそもで、fc2ブログをお使いの方々は、http:// → https:// の変更対応をやってない方がイッパイな感じがする。
●大丈夫なのかな?よくわからんなあ。


 

●一週間前に、「コロナワクチン接種券が届いた」という記事を書いたのですけど。
結局、夫婦ともに、ワクチンの一回目の接種を、シッカリ終わらせてしまいました。
●あっけないほど、アッサリと。


ボクの場合は、いわゆる「職場接種」というヤツです。
●接種券が来たあたりの段階で、ウチの会社が「職場接種」の準備をしているようだという気配は察していました。だから、地域のワクチン予約もしなかったのです。で、いつも通りテレワークで仕事してたら突然メールが来て、「最速で今週ワクチンが打てるから今すぐ予約しろ」とのこと。おおーいきなりだわ!ビックリ!
●会社診療所は、ボクの病歴を把握してますので、ボクが「基礎疾患」グループに入ることを承知してます。だから、メールの書き出しが、「基礎疾患をお持ちの方に本メールをお送りしています」になってる。「職場接種」の中でも最優先にしてもらったみたい。おお、ありがたい。
●テレワークながらも、別に孤立して仕事しているわけではないので、同僚たちにアレコレ聞いてみると、「私にもそのメール来た、ぜんそく持ちだからだと思う」「ワタシも!」みたいなリアクション。「基礎疾患」グループだけでなく、テレワーク勤務が難しい仕事をしている部署の人々にも声がかかっているようだ。現場の最前線部隊は、大勢で作業する場面も多い。そのリスクを高く見積もってくれているのはイイことだと思う。
●もちろん「ワクチン接種は強制ではありません」とか「ワクチンはモデルナ製。自治体提供のワクチンをご希望ならそちらでも結構」とか、アレコレが説明されている。モデルナのワクチンの副反応についてまとめられたPDFファイルまで添付されて、ご丁寧なことだ。もし仕事が忙しくて今週のチャンスを逃したら、一般社員として別途案内がされるとのこと。グズグズして後がつっかえるのも申し訳ないので、会社(というか会社健保)が設けたサイトで即座に「明日」を予約選択。ずっと先だと思ってたワクチン接種が、あっという間に決まってしまった。

さて、翌日。二週間ぶりに会社に出て、予約の時間に指定された会場に行ってみた。
●役員向けの大きな会議室二つ分をガバッと開いて、ワクチン接種会場が作られていた。働いている人たちは、会社診療所のいつもの看護師さんたち。元来からカラダが強くないボクは、コロナ前から診療所の常連なので、気心知れている人たちばかり。年が近い看護師さんと「お久しぶりー」なんて話をしながら、区から来た書類(問診票などなど)をヤリトリする。まーここだけ見れば、毎年行われているインフルエンザワクチン接種の風景と変わらない。ただ、新しい要素が一つ。「救急救命士」と大きく描かれたシャツを着ている女性がスタンバイしているのだ。これは初めて。おおー。これは、誰かが接種直後にアナフィラキシー・ショックを起こした時に、即座に処置が始められるように、という意味での用意なんでしょうな。やっぱ、ちょっと違うわ。
で、受付を済ませたら、すぐに産業医さんの問診。産業医さんもみんな知ってる人たちばかり、と思ったが、今回の女医さんは知らない人だった。ごくごく簡単なヤリトリを普通にする。最後に「何か、お薬でアレルギーはありますか?」。ボクも面倒くさがらずチャンと答える。「ロキソニン系の頭痛薬を飲むとジンマシンが出ます」…いや、ホントのことなんで、一応言っておかないと。まーほんとソレだけで、頭皮が赤く腫れてカユくなるだけ、少し我慢すれば治る程度なんだけど…女医さん「わかりました…では注射の後は30分、様子を見ましょう」。あ、事前の書類には「接種の後は15分〜30分の時間を空けておいてください」って書いてあったけど、経過観察の時間の確保、しかも普通の人が15分、何か心配がある人が30分という仕掛けだったのね。
●注射そのものは、ごく普通。打つ位置が肩の高い位置だから、上に着てるシャツを脱いでTシャツになって、と言われて、サッとシャツを脱ぐ。ホントに特別な位置かどうかはよくわからない。やっぱり顔見知りの看護師さんが、優しく声をかけてくれる…「緊張しないでね。腕を回して力を抜いて」…接種直後のトラブルは、ワクチンの副反応じゃなくて、接種に対する緊張に由来する「血管迷走神経反射」だってことも、メールの案内に全部書いてあった。別に緊張はしてないし、するほどの心配もない。普通にチクっ。普通の注射だ。
●別室に通されると、接種を終えた人たちが、基本15分間の経過観察のために大人しく椅子に座っていた。「救急救命士」シャツを着てる女性がココにもいる。ご丁寧にも、キッチンで使うようなタイマーまで持たされる。ボクのタイマーは30分で設定されてた。30分の人は手前の方に座って、と看護師さんに言われる。なるほど、観察30分の人はリスクが高いから「救急救命士」さんの目の前に座るのか。さらに、オフィスじゃ普通見ないだろーというほど大袈裟なストレッチャーまでボクの目の前に置いてある。ここまで準備が整えば、ホントにブっ倒れてもキチンと助けてもらえるだろう。ということで、タイマーがピリリリと鳴り出すまでの30分間、ボクはスマホゲーム「ウマ娘」をチコチコいじくって過ごしたのでした。
モデルナ製ワクチンは、4週間の時間を空けて二回目を打つ。一回目に対して機械的に予約が設定される。アッサリしたもんだ。


ワイフの場合は、「各医療機関での個別接種」という方法だった。
●ワイフも持病由来で、年齢は40歳代ながら「基礎疾患」のカテゴリーで接種券を優先的に送付してもらった人間だ。で、最初は世田谷区のサイトから普通に予約を作った。なかなかに使いづらいサイトで面倒だなーと思いつつ、自由が丘の会場で7月上旬という予約を設定。地元には北沢タウンホールという集団接種会場があるのに、結構離れた場所まで行かないといけない…そもそも自由が丘って目黒区じゃねえか?と思ったら目黒区と世田谷区の区境にある街だった、初めて知った。
●そしたら、かつてコドモがまだ幼稚園生だった頃にお世話になってた、ご近所のお医者さんが、個別接種を始めた、ということを twitter で発見。ワイフは、夜中までスマホを眺めては世間の動静を twitter で観測する趣味があって、ナニゲにニュースに敏感。そんなSNSチェックで、ほぼ偶然にこの情報を見つけた(後でよく見ると、区のホームページの個別接種リストにひっそり一行書いてあった)。しかし、ここのお医者さん、超ベテランのおじいちゃん先生で、twitter なんて運営できるタイプじゃないはず。だのに、誰かが手伝ったのか、このワクチン接種のためだけに twitter アカウントを作ったようなのだ。もちろん発信力もないので、なんとフォロワーはたった10人程度、おそらくまだ誰も知らない存在。ホームページもあるのだけど、これもコロナのためだけに、ごく最近作ったとしか思えない様子。ある意味で、地域に貢献しようという気概がたっぷりだ。早速、ホームページ経由でアプローチしたら、「明後日来てください」と返事が!即座に自由が丘の予約をキャンセル!
●さて、10年ぶりくらいに、ワイフがこの病院を訪ねてみると、通されたのは病院の二階。あれ?二階なんてあったんだ?と思ったら、そこは病院じゃない、完全におじいちゃん先生が暮らすプライベートな居室、スリッパを脱いで畳の部屋にお邪魔しますーという状況。おじいちゃんの家にありがちな床の間が部屋の隅にあって、患者を通すためにその床の間にたくさんの荷物が積み重ねられていたとな。そして働いている人たちも、おじいちゃん先生に負けないほどのベテランの女医さん看護師さんばかり。きっと、地域医療に貢献しようと、意を決して古参兵さんたちが集合したのであろうという様子が見て取れるのだ。
●ちなみに、こちらのワクチンはファイザー製。次の接種は三週間後でモデルナより間隔が短い。二回目の予約もキチンと作れている。ワイフの15分間の経過観察は、やっぱり畳の部屋の中。四隅の置かれた椅子に座って、近隣のお年寄りに混じって過ごしたとな。


●ニュースで見ると、25日の段階で「職場接種」「職域接種」は申請停止になってしまった様子。ただし、先週だけの状況で、ボクの周辺では色々な企業がワクチン接種を実施して、なかなかに少なくない知人が一回目の接種を済ませた(または、これから済ませる)。ただ、どこもとにかく急な動きで、いきなり「接種ができる」と知らされる状況が多いようだった。今回の「申請停止」ニュースに絡むのか「接種、一旦ちょっと待って」のケースになってしまったトコロもあるような感じもある。率直、この手の状況は、もう臨機応変で行くしかない。行政の準備不足だとか説明不足だとか、アレコレのお話はあるが、デルタ株をはじめ新たな変異株がどんどん出現するウイルスを前にして、キチンと準備できるヤツなんて現状この世界で誰もいないと思った方がいい。
●ワイフのケースにみるように、「個別接種」という草の根レベルの動きも見逃せない。小さいお医者さんは、かかりつけの人しか面倒を見ないという場合も多いのだが、不慣れなネットを自分で使いこなして頑張ってる人もいると思うと頭が下がる思いだ。もちろん、ワクチン接種は、まだまだマジョリティとは言えないが、誰かの頑張りで、なんとか前に物事が進んでいるという印象を受ける。ちなみに、現段階でおじいちゃん先生の twitter アカウントは170人までフォロワーを伸ばしてました。


さて、音楽の話を。音楽のブログだし。

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DAZ DILLINGER「THA DOGG POUND GANGSTA LP」2005年
ウェッサーイ!アメリカ西海岸の王道Gファンクですわ。この手の西海岸ギャングスタラップを、一時期、異常にいっぱい買い漁ってた時期があるのですけど、全然このブログで紹介できてない。あまり真面目に聴いてないってのもあるんだけど。でも実は奥が深くて、愛好家も多い世界ですよね。ボクなんて浅いところしかまだ探れてないです。
ギャングスタラップというと、その手のチンピラトークを題材にラップをする人はアメリカ全土に多くいるわけですが、アメリカ西海岸、特にロサンゼルスという街にあっては、ラップの内容はさておき、トラックのしなやかなファンクネスが独特の洗練を極めていて、これが「Gファンク」の名前で高く評価されております。このジャンルの先駆は、業界の大物 SNOOP DOGG が今も現役健在で君臨中なのですが、この音源の主役、DAZ DILLINGERSNOOP の盟友というか直弟子というか、90年代初頭から SNOOP 近辺で活躍してる男なのですね。
●で、今週、たまたま彼のソロアルバムであるこのCDを聴いてたら、予想以上に気持ち良いファンクネスにビックリしてしまって。完全な車社会であるロサンゼルスの街を、このCDをカーステレオで鳴らしてドライブしたらどんなに気持ち良いだろう!と感じ入る内容なのでした。ヒップホップを愛好する人は、足をザクザクと踏み出していくリズム感がイイと言ったりしますが、Gファンクは完全にカーステ仕様。車窓全開、ボリューム全開で、野太い低音に耳震わせるのがお行儀(まーボク自身はもうクルマの運転やめたけど)。その上で、心地よいサマーブリーズまで感じさせてくれるのがこのアルバム。ゴツい強面がとっつきにくいと見せかけて、実にポップなのです。
●アルバム中盤の楽曲「DO YOU KNOW」では、DIANA ROSS「THEME OF MAHOGANY」のサビの節回しをそのまま拝借する大胆さ。ある一定の年齢より上の人には「ネスカフェ」CMソングとして刷り込まれた名曲フレーズが優雅です。「NOTHIN' CAN STOP US NOW」では P-FUNK 総裁 GEORGE CLINTON 本人を召喚し、FUNKADELIC の代表曲「(NOT JUST) KNEE DEEP」のワンフレーズをうまく使って軽快さ爽快さを演出。一曲目の「THAT'S THE WAY WE RIDE」から、すでにタイトルが物語るように、自動車を気持ちよく転がしていく感じの痛快なビート感がタマラン。トラックメイキングは、DAZ DILLINGER ご本人が担当、スマートなファンク感覚に長けた人なのかと感心。ラッパーとしてのスタイルもクセがなくアッサリとしてて、リズム感がシンプルなところが爽やかさにつながっているのかも。一発で誰がラップしてるかわかるほどの、エグミやアブラっこい個性があった方が面白いと、普段は思ってるボクとしてはちょっと逆説的な結果なのですが。

THA DOGG POUND「DOGG FOOD」

THA DOGG POUND「DOGG FOOD」1995年
●さて、前述したアルバムのタイトルに含まれている「THA DOGG POUND」というのは、DAZ DILLINGER KURUPT という男が結成していたユニットの名前なのです。しかし、レーベルとの契約関係などなどのゴタゴタで、この二人が揃って活動することも、このユニット名義を使うこともままならない時期があったのですね〜だから DAZ は中途半端なカタチでソロアルバムのタイトルにユニット名を入れたのでしょう。90年代の西海岸ギャングスタラップ界隈で武名を轟かせた DEATH ROW RECORDS の社長 SUGE KNIGHT はリアルにヤバい人物で、2PAC THE NOTORIUS B.I.G. という才能に恵まれた花形ラッパーが相次いで射殺された1996年のヒップホップ東西抗争の渦中ど真ん中にいた人間。Gファンクの発明家で伝説的なプロデューサー DR. DRE SNOOP DOGG も 彼ら THA DOGG POUND もキャリア初期は DEATH ROW と契約して世間に出るのですが、結局あまりのヤバさゆえに、必死になって SUGE と縁を切ろうと頑張らないといけなかったのです。本物のギャングがレーベル運営をしてはダメ。
●で、この音源は、まだ彼らが DEATH ROW の契約アーティストだった頃にリリースされた最初のアルバム。ここでもトラックメイキングは大半の楽曲で DAZ 本人がやってますが、90年代前半のGファンクのマナーに忠実で、どこか陰気で妖しく、どこか奇妙な殺気が漲っております。同じ自動車でも、軽快なドライブではなく、対立するギャングの拠点に弾丸撃ち込むためにクルマを静かに動かす、という感じの緊張感。シンセを甘く操作しつつも、背筋に嫌な汗がニジむような緊張感と、野太いキックにザックリとした四つ打ち感覚。サバサバしたわかりやすい爽快さに到達するには、まだまだ鼻息荒い若気の至りが邪魔をしてる感じ?個人的には、DR. DRE が発掘した歌姫 MICHEL'LE が華を添える「LET'S PLAY HOUSE」が男臭くもやや色っぽいかと。「DO WHAT I FEEL」で顔を出す女性ラッパー THE LADY OF RAGE の存在感もイイ。
●なお、時々、兄貴分の SNOOP DOGG が客演する。「NEW YORK, NEW YORK」あたりが有名な曲か。彼の囁くようなラップのフロウは、この陰気なトラックの上で余裕綽々を気取るようで、実に映える。この唯一無二の個性が、彼が今なおシーンに君臨している理由。

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THA DOGG POUND「CALI IZ ACTIVE」2006年
●さて、やっとのことで、THA DOGG POUND が、二人揃って、本来の名義を使ってリリース活動ができるようになったのが、このアルバムのタイミングです。前述の「DOGG FOOD」から10年もかかってる!ご苦労様でした。リリースは兄貴分 SNOOP の作ったレーベル DOGGY STYLE RECORDS から。
●でも、THA DOGG POUND の新たな船出を祝って、ちと豪勢な仕掛けを盛り込んだ結果、古典的なGファンクの趣きがなくなってしまった。当時活躍してた全米各地のプロデューサーにトラック提供をしてもらったのだ。JAZZE PHA、RICK ROCK、DAVID BANNER、SWIZZ BEATZ などなど、名前だけ見ればキレキレの存在ばかりできらびやかだが、アトランタやニューヨーク、ベイエリアなどなど、ロサンゼルスとは関係ない人が大勢参加。代わって DAZ 本人のトラックメイキングがなくなってしまった。結果、バラエティの幅は広がったけど、今までボクが面白がってた特色が薄れてしまった気がする。BATTLECAT SOOPAFLYL.T. HUTTON など、SNOOP に近いロサンゼルスのクリエイターもいるはいるんだけどね。
●ニューヨークから登場の SWIZZ BEATZ がプロデュースした楽曲「SITTIN' ON 23'S」が実に特徴的。優雅なサンプル使いなどとは無縁で、小刻みにバウンシーなビートが震えるトラックに、何回もねちっこく同じフレーズを繰り返す粘着質なアプローチは、ある意味では楽しめるけど、全然質が違う。DAVID BANNER はミシシッピ出身のクリエイターで、彼が担当した楽曲のアプローチが完全にサウスサイド発祥のクランクミュージックになってる。まあ、もはやベテランになった THA DOGG POUND の新しい側面を見るつもりなら価値はあるけど、DAZ のソロみたいな開放感はなかったなあ。強いて言えば、SNOOP が客演、ロス出身の BATTLECAT が制作したアルバム一曲目「CALI IZ ACTIVE」が、ルードな四つ打ちとシンセ使いという常套Gファンクをステップアップして、不穏なベースの動きで新味を追求した場面と解釈して、ここを面白がろうと決めました。


●動画いっぱい貼っときます。



DAZ DILLINGER「NOTHIN' CAN STOP US NOW」。何回もリフレインされるコーラスパートが、FUNKADELIC のワンフレーズを中途半端に引用してる。ここにギュッとハートを鷲掴みされちゃう。ハナウタ歌いたくなる。



THA DOGG POUND「LET'S PLAY HOUSE」。ルードな四つ打ちに、ピヒョ〜ロロ〜なシンセ使いが典型的なGファンクのマナー。ただ、申し訳ないけど、二人のラッパーのうち、どっちが DAZ でどっちが KURUPT かよくわからない。



THA DOGG POUND「CALI IZ ACTIVE」。イカメシイ面構えの連中が楽しくパーティ。西海岸の大物ラッパーも何人か遊びに来てるね。沈降していくベースラインにグッとくるわー。